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オプタテシケ山
オプタテシケ山

基本情報
1 山名 オプタテシケ山(みつまたれんげだけ)
標高 2012m (三等三角点) 
山域 石狩山地
都道府県 北海道
位置 N48.28.13/ E142.45.05 
地図 昭文社 山と高原地図3「大雪山・トムラウシ山・十勝岳・幌尻岳」
2万5千分の1地図「オプタテシケ山」
20万分の1地勢図「旭川」
7 山岳区分 日本三百名山・北海道百名山
登山記録
山歩No 3022-23039
登山日 2023年7月10日(月)
歩程 8時間25分(美瑛富士登山口ーオプタテシケ山ー美瑛富士避難小屋)
天候
形態 小屋泊縦走1泊2日
アプローチ 道央自動車道旭川鷹栖ICから白金温泉経由美瑛富士登山口
パーティー 1人
動画URL https://youtu.be/ap-GYjoFm1Y

 オプタテシケ山は10年越しの悲願の山であった。 かつて我流ながらやっていたバックカントリースキー。 オプタテシケ山はそんな中で数少ないバリエーションルートで夏山では登らないルートで登頂できる山ということで楽しみにしていた2013年の5月であったが、その年は雪がいつまでも残り新得町の林道からのアプローチを試みたが、除雪が進んでいなかったために例年春スキーで登る方たちの記録にあった登山口までもたどり着けなかった経緯がある。 なくなく林道を引き返したが、それから10年、いつかこの山に登ろうと計画を温めてきた。 バックカントリースキーは引退したに等しいので、残る手段は白金温泉からアプローチして避難小屋1泊の方法である。 十勝連峰の避難小屋に宿泊することに不安がありつつも計画を煮詰めていった。

国設白金野営場

 7月9日日曜日、夕張岳に登ったが、残念ながら厳しい藪漕ぎに敗退して下山した自分は、そこからハイランド富良野に立ち寄って日帰り入浴をする。風呂の壁に貼ってある大雪連峰の山の絵を眺めながら、明日登るオプタテシケ山に思いを馳せる。 風呂を出てからコンビニで夕食のつまみとビールとそれから車の中で飲むコーラを買って、今日の宿である国設白金野営場へと向かう。 途中の道で日没となった。 国設白金野営場に着いたときにはもはや20時近くなっていた。 テントは先客のものが5-6張あるようだったが、 皆夕食も終えてテントの中に入っているようで静かであった。 邪魔にならないように車を停めて、そして自分もすみっこの樹林の下でテント張る。 お湯沸かして夕食にする。明日の量産への登りに備えて21時には就寝した。

涸沢林道へ

 朝4時半に起床。周りのテントの方たちはまだ寝ている様子である。 自分はできるだけ早く登山口につきたかったので、早めに車を出発させる。 登山口近くでガイドブックを見て改めて気がついたのだが、登山口のある涸沢林道に入るためには、美瑛森林事務所に電話をしてゲートの鍵の番号を聞いておかなければいけなかったようである。 大きな失敗である。 この早朝に森林事務所に電話をかけても誰かが電話を取ってくれるはずもない。 最悪、ゲートの鍵が開けられなかったら、2km以上余分に林道を歩かなければならない。 仕方なく誰かほかの登山者の車があることだけを期待して、とにかく登山口へ行ってみることにした。 


登山口ゲート

 最初は一度林道の入り口を間違えて一旦引き返して涸沢林道の登山口へと続くルートに向かう。 幸いなことに、ゲートの前で、旭川ナンバーの女性の単独の方が鍵を開けているところだったので、 声をかけて一緒にゲートを通過させてもらう。 彼女に聞くと。この時期は林道の鍵は開放しているようなので、 通過したあとにゲートだけきちんと閉めておけばいいようである。 よかった。 とにかく、この女性の後にゲートを通り、言われたとおりに扉をしめて鎖をかけて自分も林道をしばし上がっていく。 舗装した道なので通行に支障はない。 10分ほどすると登山口に到着した。駐車場は100m先だと掲示板に書いてあったので、行ってみると20台ぐらいは車を停められそうな駐車場があった。荷物の準備をして出発する。


美瑛富士登山口

 6:43 美瑛富士登山口出発。標高は817m。 登山届に氏名を記入してそこから樹林を上がり始める。 針葉樹の鬱蒼とした森の中をしばらく上がっていく。やはりクマが出そうな森なのでそれなりに気をつけて熊鈴を鳴らしながら進んで行く。 少し先に先ほどの女性がいるものと思われる。 登山届を見ると彼女も避難小屋で一泊するようであったので、おそらく同じようなコースなのであろう。今回は自分は避難小屋に泊まるということで炊事の道具や寝袋を持参しての登山となるので、前日の夕張岳やその前日の芦別岳のようにから空身で登るというわけにはいかない。 そこそこの重量のある荷物を担いだまま足の負担を感じながら登っていく。 

樹林のルート

 8:16、登山口から約2kmの地点まできた。 ここから避難小屋までは4kmという表示が木にくくりつけてある。 休憩を時々取らなければやってられない。 幸い登山道には品川まであと2キロのような表示があるので先がわかって安心である。8:25、 木に黄色い札でモニタリングと書かれている。 森林の変化を観測している地点にようである。 

 

天然庭園

 9:03天然庭園に到着。 標高は1220m。 ここはハイマツの中に岩が転がっており見晴らしが良いところであった。ここで少し休憩を取る。 半分よりは少しきたようである。 ただここからまだ標高差は400m以上あるようである。 天然庭園で休憩を取ってカロリーメイトを食べた後、再び荷物を担いで上がっていく。道は次第に森林限界を超えて人がない笹の中の登り道となっていく。途中少し小さな沢を渡るようなところがあり足元に注意が必要である。しばらく進むと次第に右手に美瑛富士の姿が眺められるようになってきた。岩場の向こうに見えた美瑛富士の姿はみごとであった。

美瑛富士を眺めて

 10:08美瑛富士避難小屋まで後1.0kmの札が出てきた。 その先に水場があった。 雪渓の間をちょろちょろと川が流れているような場所である。 避難小屋に泊まった時はここまで水を汲みに来ればよいのだと理解をした。 水場を過ぎてからはさほど急傾斜ではなかったのでゆっくりと進んでいく
 

美瑛富士避難小屋

 11:22 美瑛富士避難小屋到着。 ここで一旦荷物を降ろしてサブザックに今日オプタテシケ山でピストンするときに必要な荷物を準備する。小屋の中には北海道の若い男女3人組がいた。 美瑛岳から降りてきたとのこと。 山の話で盛り上がる。 皆さんも熊スプレーは用意しているが。私は本州から来たので熊スプレーの作り使いかたをよく理解してないでしょうとおまけに留め金が外れていたので指摘を受けた。 彼らは本日、下山するようである。 3人組に別れを告げて自分は避難小屋を出発する。昼食にはまだ少し早かったので石垣岳まで登ってそこで昼食にしようと思った。

石垣岳

 12:36 石垣岳到着。 ここまでくるとそこそこ標高は上がってくるのだが、残念ながら少しガスが出てきて思ったような見晴らしが得られなかった。 岩場に腰をかけて昼食とする。 もしかするとここにも熊が匂いをかぎつける可能性があると思いに気づかれないように気を使いながらアルファ米のエビピラフと、テルモスのお湯で解いたインスタントコーヒーをいただく お腹がいっぱいになって元気になって、さあいよいよ縦走路の歩行の開始である。石垣岳を少し過ぎたところで女性の単独行の方とすれ違う。 女性が実はベベツ岳の雪渓の下に、ヒグマが一頭いると教えてくれた。 彼女も単独だったので緊張しながら念のために熊スプレーをいつでも噴射できる状態にしながら横を通過していったそうである。 一気に緊張が高まる。 とは言えここで引き返すわけにはいかないのでこのまま進むことにする。稜線を暫く行くとベベツ岳の方が見えてきた。 確かに雪渓の一番裾のほうになにやら黒い動物の影が見える。 お願いだから稜線まで上がってくれ来ないでくれと祈りながら進む。
 

ベベツ岳のヒグマ

 13:39 ベベツ岳到着。 別岳の山頂には独断山頂を示す標識などは無かった。ただここまでくると正面のオプタテシケ山がとても登りごたえのありそうな見事な景観を示していた。 山頂から少し下って鞍部からオプタテシケに登る。 石垣だけで昼食をとっている間に追い抜かれたのであろうか、前に2人の登山者の方がオプタテシケ山への急な坂を登ってるのが見えた。 前に人がいるのでヒグマ対策の点でも少し安心である。 ここからオプタテシケ山までは高山植物がきれいなのぼりである。ところどころ、岩石の間を抜けていく険しい場所があるがベースとしては緩やかである。 14時を過ぎて前にいた2人組の登山者が降りてくるのにすれ違った。自分が結構遅い時間だったので山頂に着いたら15時になってしまう、と帰るの遅くなるなということでちょっと心配くれてしていた。 途中のクマの話をしたら、全然気づかずに来たとのことだった。北海道のヒグマは登山道横切ったりするから気をつけろと言われたのには驚かされた。 

オプタテシケ山山頂

 オプタテシケ山の山頂までもう少しところで稜線上にエゾシマリスガイドを発見した。近づいても逃げなかったのでビデオに撮影することができた。14:50 オプタテシケ山山頂到着。 途中の石垣岳では結構ガスが出てしまい、どうなることかと思ったが、 運がいいことに自分が山頂に来た時にはが綺麗に晴れて、トムラウシの方面も見ることができた。 またトムラウシ山の先に大雪山旭岳もよく見えた。 南側を見ると明日登る美瑛岳、さらにその先に十勝岳も遠く眺めることができた。 山頂はたった一人だったので写真はセルフタイマーで撮るだけであった。いつものように万歳三唱をやって山頂の360度動画を撮影したあと、ご褒美のゼリーを食べる。

帰り道の稜線

15:06 オプタテシケ山山頂出発。 ここから避難小屋までまだ2時間以上の道のりである。 最大の難所はベベツ岳の雪渓横である。そこに居るヒグマが移動して稜線まで上がってきてなければいいがと思いながら、 たったひとりで稜線を進んでいく。 遠目に見てベベツ岳の登りにクマの姿は見えなかったので、視界が良いので助けるなと思いながら進んでいく。 ところがベベツ岳を過ぎてくだんの雪渓を眺めた時には、もはや先ほどのヒグマの姿はなかった。 先ほどいた場所にいないということはクマはどこかに移動したということである。 したがって稜線の横からふっと出てくるようなこともあるかなと思い、 こわごわホイッスルを吹きながら気をつけて歩く。 石垣岳の手前で少し閉鎖の平坦なところでスマホを見ながらよそ見をしていたら転んでしまい、左膝を岩にぶつけてしまった。 とても痛い。 実はこのぶつけたところは芦別岳で滑った時ときに打ち身になっていて内出血しているところそのものだったので、痛みが倍増した感じであった。 石垣岳の手前で比較的新しいクマの糞があるのを見て怖い思いをしながら、周りのハイマツに注意を払って進んでいく。眼下に避難小屋が見えたときにはホッとした。

水場

17:21 美瑛富士避難小屋到着。 避難小屋に入ると、千葉県の松戸市から来たという単独の男性が一人先客で座っていた。 挨拶をして歩いてるコースの話を聞く。 彼は十勝岳方面からやってきたので、途中で水を汲む場所があったそうだが、 自分は明日の行動のことも考えて購入した2Lのペットボトルの水は手持ちがあるものの、 今日の晩飯の調理に使うレトルトごはんを温めるための水は沢の水を使おうと思い、来るときに通った雪渓の水場の所まで降りてみる。 下りで十分程だろう。 無事についたのだが、ところが午後になってその沢の水が干上がったようで、残念ながら給水ができなかった。 仕方がないので雪渓の雪をコッフェルに入れて持って帰る。 17時半になってずいぶんと陽が傾いてきた。 夕日の中で動画のエンディングを撮影する。

避難小屋宿泊

オプタテシケ山頂の直下ですれ違った2人の男性はテント泊のようであった。 また朝自分がより少し先に進んでいた女性もテント泊をしているようであった。 今夜避難小屋宿泊は、千葉の男性と2人だけかなと思っていたら、18時を過ぎてからチェコから来た旅行者の親子がやってきた。 テントもたいした食糧も持っていない軽装の様子だった。明日はオプタテシケ山とトムラウシ山を越えてヒサゴ沼の避難小屋まで行くと言うのだが、そこまで13時間のコースである。雨の心配もあるのでその旨伝えたら計画を断念して下山する決意をしたようであった。 とにかく今夜の小屋は我々4人の泊まりとなった。 レトルトの米を湯であたため、中華丼の素をあたためて夕食にする。 翌日は午後から天気が崩れる予報であったが、午前中の早い時間に美瑛岳を往復して、今朝スタートした美瑛富士登山口まで下山する8時間の行程である。 早立ちをするため、20時には就寝した。

10年来の悲願であったオプタテシケ山の登頂を果たすことができた。 山頂から見た景色は快晴というわけにはいかなかったが、想像通り雄大で、大雪山系の山深さと火山の営みの迫力と両方を感じるものであった。 ヒグマを遠目に見ることになったのは当初計画にはなかったことであるが、その姿をカメラに収めることができたのも無事に下山できた今となってはラッキーだったといえよう。 山頂近くで見たシマリスもそうであるが北海道の山がいかに自然の恵みにあふれたものであるかを改めて思い起こさせてくれた縦走の前半であった。 
 (2023年8月記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています