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基本情報
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山名 |
由布岳(ゆふだけ) |
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標高 |
1583m(一等三角点) |
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山域 |
九重連峰周辺 |
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都道府県 |
大分 |
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位置 |
N33.16.56/ E131.23.24 |
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地図 |
昭文社 山と高原地図58「阿蘇・九重・由布岳」
2万5千分の1地図「別府西部」
20万分の1地勢図「大分/別府」 |
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山岳区分 |
日本二百名山、九州百名山、大分百山 |
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登山記録
山歩No |
2950-19033
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登山日 |
2019年10月13日(日) |
歩程 |
7時間30分 |
天候 |
快晴 |
形態 |
日帰り |
アプローチ |
JR久大線由布院駅 |
パーティー |
3人 |
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2019年10月の九州遠征の目的地は日本に百名山の由布岳である。鶴見岳から由布岳までの縦走コースは、NHKグレートトラバース日本三百名山一筆書きで田中陽希が歩いたコースである。検討した結果、別府を朝出て、タクシーで鶴見岳の登山口まで行けば、コースタイム通り歩いたとして日没までに由布院温泉に下山してくることができることがわかったのでこれを実行した。 台風19号で飛行機が飛ぶかどうか危ぶまれたが、10月12日に別府の鉄輪温泉に泊まり、タクシーで旗の台まで行き、鶴見岳一気登山道を歩いて鶴見岳を登頂した。
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由布岳東登山口
10月13日、11:39、由布岳東登山口に到着。 ここで昼食をとる。 旗の台が標高525mなので鶴見岳山頂1375mまで標高850mを一回あがって標高813mの東登山口まで562m降りる。 まあ、ひとつ山を越えてきた計算なので、あとひとつ由布岳のピークを越えて降りる元気があるかどうかいささか心配である。由布岳のほうが標高が高く1583mなのでまた標高820mあがる計算である。 振り返った鶴見岳を見て、まだ道半ば未満ということで少し心配になる。 昼飯におにぎりを食べるときに景気づけに少し焼酎「鉄輪」をいただいたので、その勢いで進むしかない。
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猪の瀬戸園地
12:00、道路を渡っていよいよ東登山口から由布岳を目指す。 鶴見岳の火売火男神社にあったと同じ金属製の登山届のポストがある。 自分の地図では東峰の山頂まで2時間10分の歩程であったが、こちらの看板では2時間30分という記載があった。 最初はゆるやかな登り。 あずまやがあって「猪の瀬戸園地」と記載されておりこの道が自然休養林として市民に愛されている場所であることがわかる。
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日向岳分岐
12:23、大岩がある。この時はまだこの先のコースが岩だらけの難路だということは知らずにいた。 12:46日向岳を越えて正面登山口に至るコースと東峰に至るコースの分岐に到着。ここで10分休憩する。 標高は1065mなのでやっと250mのぼったことになる。 ペースとしては悪くはない。ここからへべ山を経ておはち巡りの縦走路にたどり着いているパーティーの記録を読んだが、地図にはそのルートの記載はない。 結構バリエーションルートとしては定着しているのかもしれない。
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鎖場現れる
13:52、初めてトラロープが現れた。 次第に傾斜が急になり、14:10に初の鎖場が現れる。かなり本格的な登りなので持っているストックをしまってひとりずつ間隔をあけて登っていく。途中で、外人のカップルとすれ違ったが、女性はぴちぴちの半そでシャツ。 男性はこれまたぴちぴちの半そでシャツに半ズボンだった。ルートからして東登山口に下山する様子であるが、この東登山口から東峰へのコースは登りはよいが下りはお薦めできない。 2-3個所ある鎖場は北アルプスなどの一般コースと比べてもスタンスやホールドの選び方が難しく、難度は高いと思われる。
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東峰が見える
14:15、鎖場を登り切ったところでついに東峰が勇壮な姿を現す。由布岳は東峰と最高峰の西峰の2つのピークからなり、山頂には1583.28mの一等三角点(基準点名は「油布山」)がある。円錐形をしていることから、豊後富士とも称される。下から見上げた姿は利尻岳に登ったときのロウソク岩を登りながら見た感じに似ていた。 14:39最後の難所の鎖場を越えていく。
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東峰山頂
15:23、東峰の山頂到着。 鶴見岳がよく見えた。 空は快晴。 ほとんど上には雲がない。 西峰はこうしてみると結構離れており、一筋縄ではいかない登りが待っているように見えた。 その先に、今日の宿となる由布院温泉が見える。 九重連山は当たり前のように手が届くような距離で見える。 その中でひときわ円錐形なのが昨年登った湧蓋山であろう。 その奥にかすかに阿蘇の峰が見えた。
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マタエ
山頂で30分ほど休んだあと出発。 15:57にマタエに到着。 ここから西峰が往復30分だが、道が険しく崩壊が激しいこと、また日没までに下山できなくなってしまうことから西峰往復は断念して、マタエで記念写真を撮る。マタエからの下りは急峻な石を下りていく。 それでも樹林のないススキの原っぱを目指していくので気持ちがよい。
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合野越を目指して降りる
ジグザグを切っておりて17:11合野越に到着。 ここから西登山口へのルートと正面登山口ルートに分かれる。 時間が遅いこともあり、多くの登山客は正面登山口に降りるコースを進んでいった。 S.Yさんは正面登山口からタクシーを拾う案も提案してくれたが予定通り、西登山口に下りるコースをとった。
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夕映えの由布岳
17:30、振り返ると夕日に染まった由布岳がきれいな姿を見せてくれた。なかなかこの見事な姿はめったにこの山の中腹からは撮ることはできないだろう。 単に自分たちの下山時刻が遅いだけなのであるが。 大分川源流の碑から先は沈む太陽に向かって進路を取り、途中、草原からシカの大群がジャンプしてかけて行く様子を見るなど、あまり本州の山ではお目にかからないダイナミックな光景を楽しみながら下っていく。 最後の30分はヘッドランプをつけて樹林の中を歩いたあげく18:46金鱗湖の近くの西登山口に下山した。 地図と道標では40分で下山できるように書いてあったが全く違った。
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旅荘「きくや」に到着し夕食の時
当初の予定より大きく遅れて「旅荘 きくや」に到着したのは19:30であった。さっそく、大分牛のステーキの夕食をいただいて、日本酒は八鹿を冷酒でもらった。由布岳を望む数寄屋の宿がこの旅館のキャッチフレーズである。また この宿の売りは屋上展望風呂である。 残念ながら朝の時刻はこの風呂がは女性用になっていて使えなかったが、夕食後夜の入浴では夕闇の中で由布岳のシルエットを見ながら縦走の疲れを湯に落とした。
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由布院駅前
10月14日(月)体育の日の振替休日。 この日も大分は晴天だった。由布院の駅に行く途中の自動車整備会社の前からも由布岳のきれいな眺めが見えた。 静岡に住んでいたときに、秋・冬は毎日町のどこからでも富士山が見えた。由布院に住む人にとって山の高さは違っても、町のどこからでも見える独立峰という意味では同じなのであろう。 由布院の駅は外国人の観光客で混雑していた。
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田主丸の河童の駅舎
久大線の各駅停車に乗り込んで、鳥栖へと向かう。 途中、日田の駅のホームには大きな下駄が飾ってあった。 かつて社会科の授業で、日田が日本で有数の林業の町であることを学習した。田主丸の駅ではかわいらしい河童の銅像を見て癒された。電車を鳥栖で下車し、そこから門司港行きの快速電車に乗り換える。 10分ほどで二日市へ。 昨年、背振山・湧蓋山をご一緒させていたがいたM.Aさん、Y.Aさんご夫妻と昼食をとり、お宅にお邪魔してコーヒーをごちそうになる。
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博多の大濠公園
二日市でM.Aさん宅を辞して、博多へ行く。 A.Dさんは新幹線で新大阪まで帰るので、博多駅で別れた。 自分は飛行機まで少し時間があるので、大濠公園を散歩した。 ベンチに腰掛けて檸檬堂の缶チューハイとから揚げをいただきながらペダルボートを漕いで水上を楽しんでいるカップルや家族連れを眺めていた。 大濠公園を17時前に出て地下鉄で福岡空港に向かう。 空港では先に帰ったS.Yさんと再び合流、昔の山仲間のM.Kさんも交えて夕食にアメリカン・サンドイッチをほおばった。 定番のやまやの明太子をお土産に買って、19:50のJL331便で羽田空港へとび、23時に自宅に帰った。
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初めて由布岳の勇壮な姿を見たのは、九重に登るために豊後中村で久大線を下車した1987年の4月のことだった。あの山にはいつか登りたい。 その時にそう思った。 それから32年の月日が流れてようやく由布岳に登ることができた。 思ったよりも険しかったが思った通り眺めの良い山だった。 九州の1500m級の山は本州と違って樹林におおわれていない山も多いので景色のすばらしさに目を見張るものがある。別府と由布院という2大温泉を結ぶ縦走を果たせたことも満足であった。
(2019年11月 記) |
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