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雲仙岳
雲仙岳

基本情報
1 山名 雲仙岳(うんぜんだけ)
標高 1359m(一等三角点) 普賢岳
山域 九州山地
都道府県 長崎
位置 N32.45.41/ E130.17.56 
地図 2万5千分の1地図「島原」
20万分の1地勢図「熊本」
7 山岳区分 日本二百名山、九州百名山
登山記録
山歩No 2940-21023
登山日 2021年10月31日(日)
歩程 2時間50分
天候 快晴
形態 日帰り
アプローチ JR長崎本線諫早駅 国道251号線 仁田峠
パーティー 2人

 雲仙岳(うんぜんだけ)は、長崎県の島原半島中央部にそびえる火山である。半島西方の橘湾を中心とする千々石カルデラの外輪に位置する。広義では、火山学上の「雲仙火山」と同義で、最高峰の平成新山をはじめ、三岳(三峰)とも呼ばれる普賢岳・国見岳・妙見岳、五峰(五岳)とも呼ばれる野岳・九千部岳・矢岳・高岩山・絹笠山を含め、東の眉山から西の猿葉山まで、総計20以上の山々から構成される。 この山を2021年九州遠征の2座目の行くことにした。

朝のJR二日市駅

 今回、2年ぶりの九州遠征で二百名山の英彦山に登ることは決めたが、翌日にどこに行くかを相棒のA.D氏と相談した、我々2人とも長崎・佐賀県境の多良岳に登っていないのでここも候補にはなったのだが、現在、林道が崩壊していて中山登山口へのアプローチが思うにまかせないという。 そこで福岡起点ではもう少し遠距離になってしまうが長崎県の雲仙岳に行くことにした。 登山口の仁田峠までどうしても公共交通機関では行きにくいのでJR鉄道路で諫早駅まで行きそこでレンタカーを借りる算段をつけた。

諫早駅 新幹線のりば建設中

 筑紫野市のJR二日市駅前のグリーンホテルに宿泊した我々は朝5:00に起きて6:07のかもめ1号長崎行きに乗車する。 朝早い列車だったので自由席に余裕で座れた。列車の中で朝食に駅前のコンビニで買ったおにぎりを食べる。 7:40に諫早駅に到着。 駅の西口から出て100mほどのところにニッポンレンタカーの営業所がある。 返却時刻は16時としてホンダのフィットを借り出す。 国道207号線からそのまま57号線に入り東にずっと進む。 島原鉄道の森山の駅前から島原街道に入り、251号線に合流してから右手に千々石海岸を眺めて進む。 ナビの示すとおりに千々石郵便局の手前から雲仙千々石線に入る。 


仁田峠駐車場

次第に傾斜が急になって道路は山を登っていく。 雲仙温泉を通り、雲仙岳ロープウエイの駐車場に到着したのが9:15。 少し予定よりも早く到着することができた。 ただ、駐車場が満車に近く、あまりにも車が多いので誘導員の指示に従って皆停めているが結構時間がかかっている。 あと30分遅く到着していたら駐車場の場所がなかったかもしれなく危ういところであった。 

妙見岳までロープウエイを使う

 幸いにトイレの近くの便利な場所に停めることができた。 支度をして9:25出発。 ロープウエイは片道だけ切符を購入。 片道だけ購入すると730円である。8分間隔の運行であったが、乗客は20人くらいであった。 ちょうど紅葉が見ごろだということもありたくさんの人がロープウエイ乗り場に集まってくるのが車両の中から見えた。 


妙見神社

 ロープウエイの山頂駅は妙見岳展望台で標高1333m、晴れた日には阿蘇・霧島・桜島までもが見えることがあるという。 駅舎の屋根部分が展望台になっていてそこも眺めがいいがやはり人気はそこから30mほど上がった山頂である。 ここから見る紅葉は絶景であった。 さらに奥には妙見岳神社がある。 無事安全に下山できることを祈願する。 冬場にはこのルートに霧氷が着くのも見ごろだという。

 

西の風穴

 妙見神社から先は登山の縦走路となる。 風穴を回るコースはどうも一方通行になっているようで登山者とのすれ違いはなかった。 10:24西の風穴に到着。 夏でも涼しい風が吹くという。 10:47さらに進んだ北の風穴の先には展望が開けていて、遠く有明海と多良岳の姿を展望することができた。 多良岳もぜひ登ってみたい山である。 


立岩の峰

 ルートはここから大きく方向を変えて、南西へと進路をとる。 立岩の峰まで急な登りが続く。 途中でここから先は噴気が危険なので立ち入り禁止という標識がある。 雲仙岳が生きた火山であることを証明している。立岩の峰は独立した眺めのよいピークである。 ここから目指す普賢岳の山頂に人がいるのを見てとることができる。 山頂にそのまま言ってもよかったのだが50m先の霧氷沢へ行ってみようということになった。


霧氷沢の紅葉

 霧氷沢は、ピークでもなければ谷でもなかったが、正面に平成新山が見えるというスポットだった。 普賢岳の山頂よりもこちらのほうが平成新山に近いという特徴がある。霧氷沢を出て10分ほどで普賢岳の肩の到着。 秩父宮殿下の行幸の標柱があった。


雲仙普賢岳山頂

 11:33普賢岳の山頂に到着。 たくさんの人が休憩していた。 さきほど立岩の峰で弁当を食べていた小学生の集団も上がってきていた。 東側と思われる方角を見て阿蘇山が見えないだろうかと話をしていたら山頂にいた若い男性が「あちらの方角は天草ですよ」と教えてくれた。 残念ながら阿蘇は平成新山の影に隠れてしまって見えないのだそうだ。 11日前に噴火したばかりだったので噴煙が見えるだろうかと期待したが残念ながらそれはお預けとなってしまった。 
 

あざみ谷への下り
 
弁当を(といってもいつものα米のエビピラフであるが)食べて、サバスのプロテイン飲料を飲んで12:05出発。 帰りは稜線伝いのルートではなくあざみ谷を通る比較的平坦なコースである。 紅葉がきれいなので、登ってくる人も多い。したがってすれ違いに結構時間がかかってしまうが、我々は15:37の特急に乗るというリミットの決まったスケジュールなので気があせる。

仁田峠到着
 
 あざみ谷の平坦なポイントで休憩。 あざみ谷はバードウオッチングで有名なところである。 鳥がつぎつぎと水浴びに来るということだ。 あざみ谷を出てから終着点の仁田峠ロープウエイ乗り場までは、ゆるやかな登りとなる。 道幅は広いのでペースの違う人が前後を歩いていてもあまり邪魔になることはない。 13:06仁田峠の駐車場に到着した。 ここから1時間強で諫早駅に帰れるはずなので15:37のかもめには余裕で乗れそうである。

帰路 博多へ 遠望雲仙岳
 
 帰りは雲仙温泉街にほど近い稚児落としの滝園地で雲仙岳の写真を撮る。 平成新山こそ隠れているが湖沿いに紅葉に染まった山を見ることができるので見事である。 諫早駅前のレンタカー営業所に無事に返却をして駅に戻り、レンタカー代やビジネスホテル・昨夜の宴会費用の精算をする。 帰りのかもめ26号の指定席は満席であった。 17:13に博多駅に到着。 大学時代からの友人の、S.Y氏とM.K氏と合流。 博多駅前の魚市場で新鮮な魚介類に舌鼓を打つ。 A.D氏は新幹線なので先に帰ってしまったが、最終便のフライトの自分は相当に飲んで福岡空港へと向かった。 飛行機の中で爆睡したことはいうまでもない。 そのせいで映画「ひのまるソウル」の続きはやはり見ることができなかった。

 コロナ感染症でほぼ2年間は遠出もなければ宴会もないという生活が続いてきた。 ようやくワクチン接種も完了して、再び、旧友に会うことができた素晴らしい秋の2日間であった。 一人で山に行くのも悪くはないが、こうして遠方で暮らしている山仲間と会えるというのは何ものにも代えがたいものがある。現代でも火山活動が続いており、1991年5月から1996年5月に9432回の火砕流が観測された。特に1991年6月に発生した大規模火砕流では43人、1993年6月の火砕流でも1人が死亡し、慰霊活動が行われている。被災家屋は251棟、経済被害は約2300億円に達した。自然災害の恐ろしさを知るとともに今なお災害に対する備えを忘れない平時の心がけも胸に刻みたい。

(2021年11月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています