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英彦山
英彦山

基本情報
1 山名 英彦山(ひこさん)
標高 1200m(一等三角点) 南岳
山域 筑紫山地
都道府県 福岡・大分
位置 N33.28.34/ E130.55.34 
地図 昭文社 山と高原地図57「福岡の山々」
2万5千分の1地図「英彦山」
20万分の1地勢図「福岡」
7 山岳区分 日本ニ百名山、九州百名山、大分百山
登山記録
山歩No 2930-21022
登山日 2021年10月30日(土)
歩程 3時間35分
天候
形態 日帰り
アプローチ 九州道杷木ICから国道500号
パーティー 3人


 ついに首都圏の緊急事態宣言が解除となった東京オリンピックの直後には一日5000人近くいた東京都の新規感染者数は100名ほどに減少した。結局はワクチン接種の効果ということであろうか? 長かった非日常が終わり、都道府県をまたいだ移動の制限も緩和されることになった。 8月くらいから、友人のA.D氏と秋に恒例の九州遠征に行くかどうかを相談していた。 そのときには正直コロナ感染症の出口は全く見えていなかったが、2年間福岡の先輩M.A氏にも会っていなかったので、今年は何とか訪問したいということで意見が一致し10月の最終週に飛行機を予約しておいた。A.D氏は関西から来るので、フェリーを予約した。 夕方オンライン会議に出席しなければいけないということで彼は最後まで朝の新幹線で来るかどうか悩んでいたが、フェリーの中でも会議参加うまくできたようで、金曜日の夕方、私がまだ仕事をしている最中に、フェリーの中で缶酎ハイでひとり宴会をしている写真をスマホから送ってきた。 

朝の横浜駅

 10月30日(土)朝4:30起床。 始発の羽田ー福岡のJAL便に乗るために5時過ぎの始発電車に乗らなくてはならない。 まだ暗い中を駅まで歩くが、駅のホームには思ったよりもたくさんの人がいた。羽田空港へ行くエアポートライナーにも大きなキャリーバッグを持った乗客が結構乗っていた。 京急電車は羽田空港第一・第二ターミナルに到着する前に第三ターミナルという国際線に乗るための駅があるのだが、さすがにその駅で降車する人は多くなかったようだ。

羽田空港から福岡空港へ

 手荷物検査もあまり混雑することもなく、発着のゲートも保安検査場と近かったこともあり7:10発のJAL305便の1時間前にはゲートに到着してしまった。 持ってきた飲むおにぎりを朝食に食べる。31列目だったので搭乗案内は比較的早めに行われ座席についた。 機内はほぼ満席であったがそれでも自分の隣の席はなぜか空席だった。飛行機の中では映画『ヒノマルソウル 〜舞台裏の英雄たち〜』を鑑賞する。21年6月に公開されたばかりの準新作だが、これを見ることができるのはありがたかった。 ただ残念ながら約1時間50分の映画は、羽田ー福岡便ではほぼ全体の2/3くらいの長さまでしか見ることができない。


着陸 福岡空港から鹿児島本線で二日市へ

 9:00の定刻に福岡空港に着陸する。 博多駅まで地下鉄に乗車し、そこから快速電車に乗り換えて集合場所であるJR二日市駅へと向かう。 A.D氏はフェリーで来ているので早く到着してすでにM.A氏と合流しているようである。Lineで到着予定時刻を伝える。 9:47JR二日市駅に到着。入口にはM.A氏が来ていた。 彼の愛車フォレスターで本日の英彦山の登山口である別所駐車場を目指す。


鷹巣原駐車場

 九州自動車道を途中から大分道に入り快調に進む。 杷木インターで下りて国道211号を北に進む。 道の駅小石原で休憩。 ここは焼き物の名産地だということもあり、たくさんの車が駐車していた。国道500号線をJRの踏切も渡って英彦山神宮へ。 銅の鳥居を通りすぎる。 紅葉の季節だからであろうか、別所駐車場は満車で入ることができなかった。 駐車場のガードマンから、少し先の鷹巣原駐車場へ行ってそこで停めるようにと指示がある。


修験道館

 11:30鷹巣原駐車場を出発。 歩き出してすぐに九州第一番札所の石の柱がある。鷹巣高原ホテルの渡り廊下の下を通って細い道を進むと修験道館の前に出た。 英彦山神宮の宝物や遺跡から出土した文化財を中心に展示しているらしい。見物する時間の余裕はないので素通りする。 雪舟が築いた旧亀石坊庭園で池の向こうにある建物の写真を撮影する。隣のかえでが紅葉しており見事であった。

 

奉幣殿

 11:51英彦山神宮の下宮である奉幣殿に到着。  現在の社殿は、元和2(1616)年に小倉藩主細川忠興によって再建されたもので重要文化財となっている。3人を代表して私がお賽銭を出してお参りをする。 登山の安全を祈願した。 スロープカーでここまで来れるからだろうが登山の恰好をしていない観光客はここまでである。 ここから石段を上がって、いよいよ本格的な英彦山の登山が始まる。


九州自然歩道標識とベンチ

 12:03最初の鎖場が現れた。 やはり修験道の山である。 このルートは中津宮と産霊社を経て英彦山神宮上宮に至る参道で九州自然歩道にもなっている最もメジャーな道である。 従い、下山者とすれ違うことも多い。 参道脇のスギ林も見事で途中には休憩にピッタリのベンチもある。 12:35だいぶ高度を上げてきたが左手を見るときれいに紅葉している谷が見えた。 12:41中津宮に到着。 石の祠が並んでいるだけで木造構築物はなかった。

 

関銭の跡

12:54稚児落としという場所に到着。 急傾斜の山道に小さな穴がある。 戦国時代の武将の肥前の国の鍋島清久がここから幼少のときにここから転落したが奇跡的に助かったという言い伝えがあるようだ。 13:05関銭の跡に到着。「豊臣秀吉が神領を没収したので英彦山の財政が苦しくなり関銭所を設け、参拝者より金をとっていた。」という。 勅使・大名・高位の人も馬を降りて通行しなければいけなかったということで、「下乗」と書いた大きな石の碑がある。


中岳山頂

ここから先は石畳が敷かれた参道になる。 正面のモミジが良い色合いになっている。 13:19上宮まであと100mの標識のところまできた。 上宮は建物の崩壊が激しく危険なために立ち入り禁止となっている。 そのため、ルートは上宮の社殿の北東側を巻くようにして山頂に行くことになる。 13:23山頂到着。 ほぼ計画通りの時間である。山頂では朝博多駅で買ってきたパンを食べる。 M.A氏がご自宅から柿を剥いて持ってきてくれたがこれが渋柿かどうかということで少し論争がある。 

 

英彦山上宮

 山頂広場には休憩舎がありその裏手にはバイオトイレが敷設されている。 この山頂にこの設備を設置するのは結構大変だったのではないだろうか? 山頂標識は高い木製の柱が埋められていてそこで3人のの写真を撮影したが、本当に高いところには英彦山神宮の上宮がある。 ただしこの建物は崩壊の危険があるということで立ち入り禁止のロープで結界が張られている。 

北岳方面

14:00上宮参拝をあきらめて、写真を撮って出発することにする。 今回はいかない北岳の方にも興味があるので稜線上を北岳の全貌が見えるところまで行ってみた。 北岳から高住神社に至るルートは一般向けコースにはなっているものの、結構鎖場があったりして大変なようである。 再びこの英彦山を訪問することがあるかどうかはなはだ不明だが次回のお楽しみということで北岳には行かずに写真だけ撮って引き返す。
 

南岳山頂

山頂から上宮を経て、一度切り立った坂を降りて南岳へと向かう。 標高は北岳1192m、 中岳1189m、南岳1199.5mである。 この南岳が英彦山の最高峰ということなる。 南岳の雄姿の写真を撮って山頂を目指す。 15分ほどの登りで南岳の山頂に到着する。山頂で休憩している人もいなかったので、ゆっくりと写真を撮る。 三脚が百円ショップの安いものだったのでちゃんと撮影できるか心配だった。 背丈が低いのは致し方ない。14:27山頂出発。


紅葉

 出発して5分でいきなり鉄はしごが現れる。ちゃんとルートに固定してあるようでもなかったのでこれで大丈夫なのだろうかと不安になる。 下りの谷間が切れ込んだところではきれいな紅葉を楽しむことができた。 この写真は紅葉の写真としては今日一番だなとちょっと自慢に思う。15:02材木岩の標識に来る。 材木岩はタモリがブラタモリの中で宣伝している柱状節理のようである。 よく考えたら柱状節理をこんな道外に見るのは初めてかもしれない。さらに進むと大南神社と鬼杉の分岐に到着した。 分岐から200m下ったところが鬼杉であるという。 今日は、二日市のビジネスホテルに宿泊なのでさほど急ぐ旅でもない。せっかくなので少し下って鬼杉を見ることにした。

鬼杉

 行ってみると鬼杉はまわりを遊歩道で囲まれたなかなか荘厳なつくりで立っていた。 鬼杉は推定樹齢1200年、「鬼がこの山を退散する時に、持っていたスギの杖を地に突き刺したのが芽を出して、このような大木になった」との伝説から「鬼杉」の名がある。樹高38mらしいが、途中で折れてしまった形跡がある。 ただ幹や枝は成長しつづけているようである。 鬼杉を見物して給水休憩をしてから大南神社を経て下山開始。 大南神社では進む方向が微妙にわからず、神社の社の下に白骨があっていきなり驚愕の場面となる。 まさか即身成仏の人間のものではないと思うのだが。 神社の取り付きまで戻ると三呼峠方面へと行く道を発見することができた。 

下山・駐車場

 三呼峠まではゆっくりとした登り。 そこからは少しくだりである。 梵字岩や虚空蔵、玉屋神社といった歴史のスポットに立ち寄る分岐はあったのだが17時までに下山したいという思いから立ち寄らずにスキップすることにした。 16:42奉幣殿まで降りてくる。 駐車場まで降りてきたら、駐車しているのは自分たちの車だけであった。少し暮れなずむ中を大分道に載り二日市まで帰った。 宿に荷物を置いて、車をご自宅に置きに帰ったM.A氏と夫人も合流して、九州の新鮮な刺身で反省会(?)をやった。

 日本二百名山の英彦山は耶馬日田英彦山国定公園の一部をなす。日本百景・日本二百名山の一つで、弥彦山(新潟県)・雪彦山(兵庫県)とともに日本三彦山に数えられる。国の史跡に指定されている。 こうして聞くと、日本三彦山も登らなければならなくなりそうである。修験道の山というのでもう少し鎖場などが多いかと思っていたが思ったよりは難所は少なかったと感じた。 福岡県・大分県の県境へ来たのは生まれて初めてかもしれない。
(2021年11月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています