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釈迦ヶ岳
釈迦ヶ岳

基本情報
1 山名 釈迦ヶ岳(しゃかがたけ)
標高 1800m(一等三角点) 
山域 紀伊山地
都道府県 奈良
位置 N34.06.52/ E135.54.11 
地図 昭文社 山と高原地図52「大峰山脈」
2万5千分の1地図「釈迦ヶ岳」
20万分の1地勢図「和歌山」
7 山岳区分 日本百名山、関西百名山
登山記録
山歩No 2830-21015
登山日 2021年7月25日(日)
歩程 4時間00分
天候
形態 前夜泊日帰り
アプローチ 国道168号旭橋から太尾登山口
パーティー 3人

 2021年7月23日、東京オリンピックが開幕した。 7月12日から8月31日まで東京都に緊急事態宣言が発令された中での開催となった。 不要不急の外出は避けるべきながら、予定していた山岳部の夏山合宿は決行することにした。移動も含めて4日間の最終日の登山は日本二百名山で関西百名山でもある釈迦ヶ岳(標高1800m)だ。吉野から熊野まで至る大峰奥駆道のほぼ中央地点、今回の合宿最後の山はここである。 山頂は遮るもののない360℃の大パノラマが広がっており、大峯山系随一の絶景ともいわれている。 登るのが楽しみである。 


夜の太尾登山口駐車場

 7月24日(土)山上ヶ岳を登って、清浄大橋に下山したあと、柏木経由で長距離のドライブとなった。下山してきた時刻も遅かったのでおおたき龍神湖のガソリンスタンドで給油をしたときにはもう19時になっていた。 日没までに太尾登山口に到着するという目論みはあきらめ夜のドライブとなった。 初日にタクシーの運転手に教えてもらった五番関を越える林道高原洞川線で洞川温泉まで来て県道53号、 国道168号でから十津川村へと向かう。 旭橋から釈迦ヶ岳登山口の標識に従い太尾登山口を目指す。 道はずっと舗装されておりダートを走る必要はない。 ただ、登山口は標高1300mなので旭貯水池を過ぎて林道栗平線に入ってからは曲がりくねっている。 こんな夜の時間なのですれ違う車もなく、まずは不動谷登山口のところで水をくむために駐車する。さらに標高が150m高い太尾登山口に到着したときにはさきに4台ほどの車が駐車していたが登山者の方が皆もう車中で寝ている様子だったので、邪魔にならないようにわきの林業作業用の林道を少し入ったところでテントを張る。 夕食をとり、買ってきたビールと缶チューハイそれから残っていた焼酎全部を飲む。 小宴会の最中、希少なヒメボタルがテントに停まっているのを見た。このホタルは川の近くにいるゲンジボタルやヘイケボタルと違って夜中に山に来ないと見れないものである。珍しいものをみて勉強になった。 24時就寝。

太尾登山口出発

 7月25日(日)6時起床。 登山口のトイレは工事中で仮設トイレを使うことになっている。 いつものようにテントを撤収して昼食のアルファ米も湯を入れておいて8:24出発である。 元気のよい女性中心の7人組のパーティーがわれわれより少し前に出発したが、前日からこの登山口に車を停めていた人たちは早朝から出発しているので、同じ時間に行動しているのは、今朝、車で到着した人たちばかりである。 登山届をポストに入れて木製の階段をあがる。少し上がってみると我々が車を停めた場所よりも少し下にも数台駐車できるスペースがあることが確認できた。


不動谷登山口分岐

 最初は樹林の中を歩く、少しずつ高度をあげていって9:07、標高1434mの小高い場所に到着。 少し給水休憩をする。9:13出発。 9:35に1465mの分岐点に到着。 この場所が不動谷登山口から上がってきたときとの合流地点である。 少し前のガイドブックでは不動谷の登山口しか記載がないが、きっと、今の太尾登山口ができて標高1300mまで上がれるようになったので、不動谷から登る人が減りガイドブックの登山口もこちらになったのであろう。


古田の森

 稜線の上を歩くのだが樹林が薄いので、終始正面にこれから登る釈迦ヶ岳の姿が見えている。 10:29、古田の森に到着。 小高く盛り上がった石の山は休憩適地である。 天気もよく気持ちがよいのでコーヒーを一杯飲むことにした。 SOYJOYを食べてこれからの登りに備える。 朝早く出発した登山者の方はそろそろ下山してくる時間のようである。


稜線の登山道

 古田の森を出ると高原状の稜線の上に登山道がくっきりと見える。 標高はまだ1600mほどで決して高くないがアルペンチックで登山道が気持ち良い。なによりも昨日までは重たいテントを担いでいたが今はサブザックに昼食と水と雨具くらいしか入れておらず足が軽くて楽である。古田の森を出て30分ほど歩いたところで登山道の上にヘビがいるのを発見した。 シマヘビやアオダイショウではなく模様がはっきりしていたのでマムシではないかと思った。 マムシにかまれたらやっかいなのでこやつが登山道から消えてくれるまで通行を待っていた。 しばらくして影も形もなくなったのを確認して進んだ。

 

野生のシカ

 次第に登りの傾斜が急になってくる。 ところどころ、野生のシカがあらわれた。 親子で行動しているシカが多いようである。 子鹿は個体も小さく、母親鹿からできるだけ離れないようにしている。 警戒するようにこちらを見るのであるが、かといってすぐに遠くに離れていくというわけでもない。 結構登山者が危害を加えないことをわかっているのかもしれない。


千丈平

 11:25千丈平到着。 ここは水をたたえた池塘があり、シカも水を飲みに来ている様子だった。 インターネットで千丈平でテントを張った人の記録も見た。この少し上にかくし水という水場があるので確かにテント泊は可能である。 だが釈迦ヶ岳の近くではクマの目撃情報があるので要注意である。 11:40隠し水に到着。 冷たくて癒される。 ここからは野生のシカのいる中をブナの樹林の中を登っていく。 


奥駆道分岐

 11:47奥駆道との分岐に到着。 ここから南には深仙の宿、 大日岳を経て涅槃岳から笠捨山へと稜線が続く。 さらに10分間、ひと登りして12:00ちょうどに釈迦ヶ岳山頂に到着。 山頂には3人先客がいた。 一等三角点にタッチ。 少しガスが上がっていて思ったほどの展望がないのが残念である。この山の象徴ともいえる釈迦如来の銅像がある。山頂の釈迦如来像は、大正13年(1924年)に「鬼マサ」の異名で知られていた岡田雅行(1886年 - 1970年、身長188 cm・体重約120 kg)というごうりきが、たった一人で道をつくりながら、3分割して担ぎ上げたと伝えられる。その様子は書籍にもなっており「大峯山秘録―花の果てを縦走する」 前田良一 著で詳しく紹介されているという。

釈迦ヶ岳山頂

 北には奥駆道が続いているが、ちょうど一名大きな荷物を背負った男性があがってきた。 八経ヶ岳方面から縦走してきたのであろうか。この一帯は1936年に吉野熊野国立公園に指定され、2004年7月にはユネスコの世界遺産に登録された『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成要素として史跡「大峯奥駈道」が登録されたが、釈迦ヶ岳山頂も大峯奥駈道のルートのひとつとなっている。縦走路(大峯奥駈道)とは別に、十津川村側と下北山村側の両方から登山道がある。下北山村側の「前鬼」には古い歴史のある宿坊がある。最初は単独で前鬼に下山するルートを考えていたが、きっとテントの入ったリュックをかついでいたら、終バスの時刻までに下山できなかったことであろう。

 

大日岳

 昼食を食べて12:45下山開始である。 来た道を引き返す。 後ろからきたご夫婦づれは軽快な足取りで縦走路の深仙宿の方へ歩いて行った。 大日岳に登るのであろうか?そういえばわれわれの直前に出発した7人組の姿も見ていないが大日岳に行っているのであろうか? 帰り千丈平を過ぎて古田の森に行く途中振り替えると大日岳の姿がきれいに見えた。 山頂に大日如来の座像があり、 こちらも修験者の登る行場になっている宗教の山である。 

近畿の山・紀伊山地の山々を見ながら下る

 14:05古田の森でまた休憩をとる。 ここからの下りも見事な景色を堪能することができた。 14:15 1465mのピークで360度パノラマ映像を撮影するがカメラのバッテリーがそこで切れてしまった。 4日間の登山で2本バッテリーを持ってきたがちょうど使い切った格好である。 15:32無事に太尾登山口に下山した。 持ってきた水を捨ててパッキングをしなおす。 A.K氏のメガネケースがないということで昨夜テントを張ったところまで捜索に行く。 結局、メガネケースは外に落としたのではなく、車の中に落ちていたという結末だった。


近鉄特急で京都へ。

  このあとH.H氏の車で国道168号線を北上、国道24号線に入り近鉄の御所の駅まで送ってもらった。 本当は洞川温泉で風呂でも入りたかったのであるが時間がないことがわかり今回は温泉はあきらめた。 18:25に御所の駅到着。 そこでH.H氏と別れる。 A.K氏と近鉄で京都に出る途中、橿原神宮前駅で駅の構内にたこ焼き店があったので、テイクアウトで購入、これを晩飯に近鉄特急に乗り込んだ。 京都からの新幹線は20:30発。 連休の最終日で東京へ帰る人で満席かと思いきや、乗車率70%くらいであった。 もっとも大きな登山リュックを持っているのはわれわれだけであった。


 長年の夢であった大峰縦走を果たすことができた。 今回リーダーを務めてくれてまた長距離の運転をしてくれたH.H氏には感謝である。 A.K氏も参加して今回3人だったこともあってあの重いテントをかついでの山行ができた気もする。梅雨明け直後の安定した天気にも恵まれて大峰の奥深さを知ることができたよい旅であった。
 (2021年8月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています