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基本情報
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山名 |
御在所山(ございしょやま) |
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標高 |
1212m (一等三角点本点) |
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山域 |
鈴鹿山脈 |
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都道府県 |
滋賀県・三重県 |
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位置 |
N35.01.14/ E136.25.04 |
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地図 |
昭文社 山と高原地図44「御在所・霊山・伊吹」
2万5千分の1地図「御在所山」
20万分の1地勢図「名古屋」 |
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山岳区分 |
日本二百名山・関西百名山 |
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登山記録
山歩No |
2820-13021
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登山日 |
2013年6月1 日(土)~6月2日(日) |
歩程 |
第1日5時間30分
第2日12時間 |
天候 |
晴 |
形態 |
テント縦走1泊2日 |
アプローチ |
新名神甲賀土山ICより国道477号 |
パーティー |
8人 |
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御在所山(御在所岳)は標高1212m、鈴鹿山脈の主峰だ。 高さでこそ、御池岳や雨乞岳よりは低いが、まぎれもなく県境縦走路の中間に位置して、ロープウエイが通じていることもありアクセスが一番多い山であろう。 この山に何回登ったかは数えたことがないのでよくわからないが、自分の中では鈴鹿山脈イコール御在所山のような思いさえある。 |
峠道を登る
6月1日(土)週間天気予報の雨をいうのを見事に覆して梅雨の中休みの天気が訪れた。 そのため、予定されていた山岳部の6月山行の鈴鹿山脈の名峰二つ、鎌ヶ岳と御在所山というのは予定どおりに決行となる。4月にやはり滋賀県の蓬莱山に登るときに、早々と参加を表明して夜行バスを予約していたものの中止となった教訓があるので今回は当日に夜行バスを予約。 京都下車で大津で山岳部の仲間に合流し、武平峠まで車に乗せてもらう。 無事に鎌ヶ岳を登頂し(記録はこちら)武平峠で昼食のあと、御在所岳を目指す。 |
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チロリン村跡地
荷物をかついて御在所へのルートをあがる。こちらは鎌ヶ岳への登りとだいぶ趣を異にするコースだ。 樹林の中の岩の登山道を登っていく。 途中の岩場で振り返ると鎌ヶ岳の勇壮な姿が見えた。1時間ほど登ったところで車道をさえぎったところが見えた。 これが、御在所のチロリン村の跡地であろう。昔、ここはバンガローなどがたつキャンプ地であった。 今はその面影もなく、整地した平らな地面があるだけである。。 |
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登山コース終点
さらに樹林を進むとスポッと車道にぶつかった。 ここからは御在所山上公園の一部のようだ。 御在所岳はロープウエイを使って一般の観光客も入ってくるからであろう。 ここから先は登山靴と登山の装備がなければ進入できませんと書いてある。御嶽大権現には寄らずに 長者池の脇から1212mの最高峰と1209mの三角点を目指す。山頂まではあとわずかだが、御在所山は鎌ヶ岳と違って切り立ったピークではなく、山頂が台地状になっている。 平坦な自然公園という感じだ。 |
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長者池
<回想>1978年6月、三重の高校の山岳部仲間と武平峠からテントを担いで御在所岳の山頂に立ったときに、三角点のところに、中学時代の同級生で別の高校に進学したI.F君とT.M君がいた。 久しぶりの再会を喜ぶと同時にお互い高校に入って山をやっていることに感激した。その2ヶ月後、私は東京の高校に転校した。 そしてワンゲル部に入ったときに、そこの先輩が御在所岳や藤内壁のことを知っていた。 鈴鹿の山は、日本アルプスや八ヶ岳に比べて標高も低い上、マイナーだと思っていた自分は、東京の先輩がこれらの山をよく知っていたことは驚きだった。 と、同時にそれだけ日本の中でも鈴鹿が注目される存在であることに誇りを覚えた。
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御在所山山頂(一等三角点)
13:48に山頂到着。 地図上ではこの2つは別の場所にあるように書かれているが実際は一等三角点のある場所が山頂としてにぎわっていた。 山登りの格好をした人ばかりでないところがこの山の特徴か。 全体写真を撮り、山頂近くにいた人にシャッターを押してもらう。さて、車で来ている山岳部の仲間とはここでお別れである。 自分は先を急ぐたびなので今回の山行の同行にお礼をいい、この先の縦走の安全を祈ってもらう。 心配して、山岳部長のH.H氏が水を1リットルくれた。 ここまで車を運転してくれた百名山登頂の盟友K.Mさんはチョコレートを、K.Dさんこんにゃくゼリーをくれた。 あと下山して温泉に入るだけのメンバーが残りものを私に押し付けているだけではないかと誰かが指摘して一同に笑いの渦が起こる。単独行が多い自分だが、たまにはこのようなにぎやかなパーティー登山はいいものである。H.H氏は自分が古い地図しかもっていないために心配して、2013年のエアリアを貸してくれた。
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思い出の山頂
14:15、皆に別れを告げて出発。 降り口がわからなかったのでまた戻ってきてしまったが、リフトの横から山上公園を横切るようにしてロープウエイ乗り場のほうへ進む。 三角点から国見峠へ下りる道もあるようだが、どうもWEBの案内では、こちらの道は、ガレ場を通過す急斜面であまりお勧めではないようだ。折角久しぶりに来たのでこの公園横断ルートもよかった。 山上公園には、リフトを使ってたくさんの観光客が行き交っていた。 このリフトは、冬場には御在所スキー場として利用されている。 ものごころついて初めて御在所山頂の記憶があるのは冬に山頂公園の御在所スキー場で生まれて初めてスキーをしたことだった。 確か、1967年、自分が4歳のときのはずである。 短いレンタルの板を足につけてスキーをつけて歩くというこれまでにない感覚を始めて体験した。
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藤内壁
レストランアゼリアの横にある御在所自然学校の建物を覗いて、その裏にあるトイレを使っていざ国見岳に向けて出発。 第一ケルンの横から裏道の標識に従って進もうとすると狭い石段をロッククライミングのいでたちをして外国人の3人組があがってきた。藤内壁を登ってきたのだろう。 御在所山頂は、ハイヒールの観光客とハーネスにヘルメット姿の前衛的クライマーと両方が共存する不思議な世界だ。
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生まれ故郷の町
<回想>1970年代にも1-2回登っているのではないかと思う。 父親の勤める会社の保養所が湯ノ山温泉にあった。 「山の家」といって、毎年夏に宿泊に来た。水沢渓谷まで足を延ばして水遊びを楽しんだこともある。 70年代の後半に、中道・裏道・峠道それぞれのルートから登った。 表道と言われる登山道はあまり登った記憶はないが、御在所山の家に下山してきた記憶がある。 このときはテントをしょっていた。 武平峠でテント泊をした高校生の時のことであろう。 |
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御在所リフトとロープウエイ駅
<回想>1986年9月、ロープウエイで御在所に登った。 平日だったこととあいにくの雨天で、ロープウエイはわれわれの貸切状態だった。 久しぶりに御在所岳の三角点を見た。 このときはまだカモシカセンターがあった。世界で唯一のカモシカ専門の動物園で御在所ロープウェイ開業翌年の1960年7月に開園して、2006年11月30日に閉園した。この日は湯ノ山温泉に泊まり汗を流し、翌日、天気の回復した中、母校の中学校を訪れた。 秋晴れのもと、運動会をやっていた。
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御在所山上公園案内図
<回想>1987年5月に久しぶりの鈴鹿の山を訪れるチャンスに恵まれた。 勤務する大阪の会社の山岳部で1泊2日の鈴鹿ツアーだ。 三重県側に入り、朝明渓谷に車を停めて釈迦ヶ岳を登山。 下山後、今度は車で武平峠に移動し、そこで野営。 翌日、雨乞岳を目指した。 途中、昼食をとるために湯を沸かしたが、思ったよりも気温が低くなかなか湯がわかなかったことと強烈なブッシュの中を藪こぎして雨乞岳の山頂を目指したことが記憶に残っている。
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御在所山山頂より見る鎌ヶ岳
<回想>2000年11月19日綿向山に登った。 1998年の夏海外勤務から帰ってきて再び大阪で仕事をすることになった。 昔の山岳部の仲間と久しぶりに鈴鹿の山に登ったのがこの綿向山だった。綿向山は滋賀・三重県境の稜線からはかなり離れている。 完全に滋賀県の中に入ったいるゆる展望の山である。 ここから見た御在所山と鎌ヶ岳の姿は忘れることができない。 晩秋だったので傾いた日差しを受けて、この2つの山は一定の距離を開けて、まるできらきら輝いているかのように目に映った。
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国見岳
御在所山の思い出はつきない。気を取り直して先を急ぐ。 5分も歩くと沢の音が聞こえてきた。 徒渉したが、WEBにあった水場というのはこれのことだろうか、上流に先ほど自分が用を足したトイレがあるような気がしてできれば非常時以外はあまり使いたいと思わない水場だった。 国見岳峠までなゆるやかな下り。 東の三重県側に下りる道が裏道である。 今から35年前に登ったことも下りたこともある道だ。 峠を出ると緩やかなのぼり。 国見尾根との分岐を右手に分けると石門が見えてくるが、国見岳の山頂を通るルートは石門を通らずにそのまま右手に岩場をあがっていく。 14:40国見岳の山頂に到着。 山頂は広くはないが、御在所の山頂をよく眺め渡せるところだった。御在所岳が、また来いよと自分に向かって話しかけているような気がした。
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故郷の山というのはいいものである。 懐かしさと温かみが交じり合ったような雰囲気である。 眼下には菰野の町が見えた。友達が住んでいた町である。 御在所岳のピークを踏んでとりあえず鈴鹿にやってくるという目標のひとつを果たして安心したが、まだこれから縦走という課題が残っている。 思えば、ここから北上するというコースを単独で歩くのは初めてのことだった。今日の今日の目的地である羽鳥峰まではまだ道は長い。
(2013年6月 記) |
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