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池口岳
池口岳

基本情報
1 山名 池口岳(いけぐちだけ)
標高 2,392m (三等三角点)
山域 赤石山脈南部
都道府県 長野・静岡
位置 N35.19.48/ E138.02.18 
地図 昭文社 山と高原地図42「塩見・赤石・聖岳」
2万5千分の1地図「池口岳」
20万分の1地勢図「静岡」
7 山岳区分 日本二百名山・信州百名山
登山記録
山歩No 2680-15010
登山日 2015年5月17日(日)
歩程 10時間30分
天候
形態 前日発小屋1泊
アプローチ 新東名浜松浜北IC国道152号遠山郷
パーティー 1人

 そろそろ天気図に梅雨前線が現れてきた。 ぼやぼやしていると週末が雨になって山に行きそびれるという事態になってしまう。 去年は、5月中旬には、懸案だった福井の笈ヶ岳に登った。 行動時間が12時間を越える強行軍だったが、日没まで二時間のある時期にしかできないことである。 その時期を大事にするべく、今回は、もうひとつの懸案の池口岳に登ることを考えた。 こちらも、コースタイム10時間半という難関だ。北海道にニペソツ岳に登ってから軽い荷物で長時間歩くことに慣れはしたが、あとは体力の衰えとの闘いである。

雨があがった静岡

 5月16日(土) 朝は残務処理のために7:00から会社に出社。かなり強い雨の中を傘を差していく。 天気予報では土曜日の午後からは天気が回復して日曜日は穏やかな行楽日和になるという。 概ね10時過ぎには仕事も片付いたので、予定どおり、11時に予約を入れてあったレンタカーの店舗に向かう。 このレンタカーチェーンは値段もリーゾナブルで何よりも24時間借り出し・返却が可能だというのがうれしい。 どうしても長い歩程の山に行けば帰宅するのが夜8時を回ってしまう危険がある。 一般のレンタカーよりも安心してここを使うことができる。

天竜川夢の架け橋

 一旦レンタカーで家まで帰り、荷物を積み込む。 夕食の材料などはインターを下りてからタイムリーに店があるかどうかわからなかったので、出発の時点で家の近くのAeonによって食材の買出しをしていくことにした。 12:50清水ICから東名に乗り清水JCTから新東名に。 途中、13:50NEOPASA静岡で昼食にする。 天神屋というドライブプラザは弁当が売っていておでんのコーナーもある。 電子レンジもあるので買った弁当をそのまま暖めて食べることもできる。 ナビの示すとおりに浜松浜北ICで高速を下りて、 飛龍大橋を越えて152号線に入る。 船明ダムの横をとおり15:20に道の駅天竜相津花桃の里で休憩。 ここには「夢の架け橋」という天竜川にかかったつり橋があったので、見物のために登ってみる。 反対岸まで渡ると時間がかかりそうだったので、途中まで行って記念撮影して引き返す。

水窪町

152号線はここから天竜川を遡行するように曲がりながら進む。 長野県上田市と静岡県浜松市をつなぐこの国道は日本最後の秘境を通る国道であるといわれ、一説には「酷道」ともいわれる。 北から順に大門、杖突、中沢、分杭、地蔵、青崩と6つの峠を越えてゆき、後半3つの峠は対向すら難しい1車線路、さらに2ケ所の断絶区間を抱えている。南から北へ進む私の車は途中で1.5車線になったりうねった峠を越えたりしながらJR東海の飯田線の横を走るようになる。 かつて塩見岳から三伏峠下って大鹿村に下山したときにこの電車に乗って帰った。 次第に人家が現れて水窪町(正確には今は浜松市天竜区に編入された町だが)に入った。 ここはかつての同僚の出身の町なので何か懐かしい感じがある。 川沿いで写真を撮る。 桜の季節はさぞ美しいことだろう。 

兵越峠

 水窪町を抜けるといよいよ国道152号の点線国道区間で未通区域となっている青崩峠だ。 標高1,082mの峠である。峠付近の地質構造は、中央構造線による破砕帯となっており、山腹に広がるむき出しになった青い岩盤から峠の名がついた。 武田信玄による1572年の徳川領侵攻において、軍兵の一部が通過したことで知られているようだ。 車道は国道152号線から離れて兵越峠に入る。 ここは浜松市と飯田市で「峠の国盗り綱引き合戦」という綱引き行事が行われている場所だ。 標高1165m。 いやはや高い。 

遠山郷かぐらの湯

 そこから長野県に入り、 兵越林道を下っていく。 途中で対向車と衝突しそうになってあせった。 再び国道152号に合流して国道412号と交わったところが遠山郷である。 遠山郷は日本の秘境100選にも選ばれている。遠山郷・下栗の里(長野県飯田市上村)の集落は遠山川右岸の標高1000m前後の斜面にあり、日本のチロルとも言われる。 面(オモテ)と呼ばれる仮面をつけた被り手たちが舞い踊りつつ、釜湯かけを行う祭りである霜月祭は「神様の湯治場」を表した独特のスタイルから宮崎駿監督に大きな影響を与えた祭でもあり、映画「千と千尋の神隠し」の製作の原点ともなったらしい。 さっそく、道の駅遠山郷 かぐらの湯に入る。料金は620円。 今日は登山口にある避難小屋宿泊なのでその前に42.5度のナトリウム・カルシウム塩化物泉ですっきりする。広々とした露天風呂からの景色は最高である。

池口林道

 風呂からあがって18:00、そろそろ日没時刻が気になってきた。 舗装していない林道を走るので、明るいうちに避難小屋に到着しておきたい。 池口林道に入るため秋葉海道をそのまま北東に進んだのだが、 和田で法面崩落による通行止があって、池口林道の入り口まで進めなくなっていた。 片側通行の規制に従い迂回路の小道木バイパスからいったん北の木沢まで出て、再び川沿いに152号を南下するルートをたどる。夜間は通行止めらしく注意が必要だ。 18:30、ようやく大島のバス停に到着。 ここに池口岳登山口の標識がある。 ここから池口川に沿った車道を走りやがて標識に従い林道を登っていく。 林道池口線の登山者カード入れを過ぎると未舗装の道路だ。 ただ、乗用車でも腹をするようなことはない。 18:55にガイドブックで見慣れた「池口岳登山ガイド図」の看板のある登山口に到着。 避難小屋はここからさらに100m進んだところにあった。 

池口岳避難小屋

 避難小屋は自分一人だけ。 車は小屋の横に駐車できる。 荷物を運びこんでいつものように一人宴会。 21:00に就寝。 5月17日朝4:20起床。 もうすっかり明るくなっている。 幸い晴れて絶好の登山日和だ。5:11看板の横の登山口から歩きだし。最初は民有林の中をゆっくりとした傾斜で進んでいく。 6:37面切平という名の広場に到着。 山の神という祠が途中であったはずだが気付かずに通過してしまった。今日の登山者は自分一人だろうか? やはり気になるのがクマである。 登山口にもクマ注意の立て札があった。 ザックにくくりつけたクマ鈴は相変わらずあまり音を出してくれない気がする。  

尾根から見る中央アルプス

 7:06木々の間から中央アルプスが見える。 駒ケ岳や空木岳の山頂を思われるあたりはしっかりと雪がついていた。このあたりで標高1600mくらいか。 道は次第に傾斜を上げていく。 踏み跡がしっかりしているのと、赤テープが張っているのであまりルートを外す心配はない。  ようやく本格的な尾根筋の登りとなり、左から南東尾根と合わせてざればを通過すると8:06黒薙の頭に到着する。 

黒薙

 標高1837.5mの黒薙の頭には三角点があるのだが、なんとこの三角点、ガレバの最北部に立っていてその横が切り立っている。三角点に近づこうとしてあまり前に出ないほうがいいかもしれない。 転落の危険がある。ここまで来て初めて池口岳の双耳峰が見える。 まだまだ距離がありそうだ。 標高差はここからあと500mほどなのだが。8:18、ゼリーを食べて腹ごしらえをしたので、黒薙を出発。 ここからいったん下りとなる。 細い尾根を登って、1902mのピークがある。 下山のときここが少しわかりにくいようだ。 倒木があるので足元が少し悪くなっている。  

ザラ薙平

 9:00樹林の間から大きな聖岳の姿が見えた。 やった、ついに南アルプスに来たのだという実感がわいてくる。 以前、光岳から聖岳まで縦走したときに光岳の光岩から日没の加ヶ森岳と池口岳を見た。その時の南アルプス最深部といううっそうとした影のような山に今登っているのである。 9:14、気持ちのいい広場に到着。 ここがザラ薙平という場所のようだ。 ここでテント泊をしている人の記録もいくつか見た。確かに池口岳はコースタイムが10時間を越えているので、日帰りで登るには苦しいかもしれない。 

加ヶ森岳へのジャンクション

 9:19に1971mのピークに到着。やせ尾根をのぼりくぼ地を過ぎるとロープが現れて大岩を越えた。 10:28、ルート上に残雪が現れた。 1週間前に登山した人の記録がヤマレコにアップされていたが、頂上直下400mくらいから残雪があると記載されていた。 さすがに1週間たっているのでこの間の温度の高い状況からずいぶんと融雪が進んだようであったが、さすがに北面に残雪がある場所では登山道が隠れており、少しルートファインディングに苦労する地点があった。 全体的に南側、登りのときの右手が切れ落ちているので、ガスが多いときなどは要注意である。11:13加ヶ森岳に行くルートとの分岐に到着。 エアリアの地図上は加ヶ森岳と池口岳の間にルートはないのだが、実際には歩く人がいるのであろう。

池口岳北峰山頂

  ここまで来ると、もう池口岳の肩に到着したようなものである。 林の中を赤いテープと踏み跡を頼りに登って11:34に池口岳の北峰に到着した。標高2392m。晴天で暑くもなく寒くもなく絶好のコンディション。 でも山頂には一人の登山者もいなかった。東海ラジオの「SKE48の1たす1は2じゃないよ」を聞きながら持ってきた冷やし中華の昼食を食べる。 そういえば今回はノンアルコールビールをかついで上がるのを忘れてしまった。残念 水は3L以上もってきたのだが。

南峰をバックに

 大井川源流部自然環境保護地区の看板の前で写真を撮るのだが、今回、デジカメを持ってこなかったので、なれないスマートフォンでのセルフタイマー撮影となり、なかなかうまくいかなかった。 11:50に南峰まで行ってみようかと思って、下りかけたが、そもそも北峰から南峰までは登山ルートがないことがわかった。 踏み跡を頼りにするが意外と残雪におおわれておりわかりにくくなっている。 単独登山なので、足を痛めでもしたら命取りになると思い、南峰に行くのは断念した。 南峰をバックに写真を1枚撮影して、12:16下山開始。 

光岳遠望

 下り初めて15分、光岳と光岩がよく見える地点が見えた。 そうそう、5年前の2010年7月あの光岩でミヤマムラサキという青い花を愛でながらウイスキーを飲みつつ日没の池口岳を見ていたのだ。 なつかしい南アルプスである。 12:41加ヶ森のジャンクション通過。 13:49、振り返って池口岳の全容を見る。 14:10ザラ薙平到着。 結構下山にも時間がかかるものである。

熊伏山を眺める

 14:44、黒薙にて最後に池口岳の姿に別れを告げる。 ガレバの向こうには近い将来登るであろう熊伏山が見えていた。16:40面切平に到着。 やはり、参考コースタイムよりも大幅に遅れている。 レンタカーの返却時間を夜遅くにしておいてよかった。16:56に山の神を通過、今度は見落とさなかった。 17:21に晴れやかに下山。 登山口には1台、SUVが停まっていたがはて、その登山者はどのルートを登っていたのだろう、一度も誰ともすれ違わなかったのであるが。 

下山 池口岳登山ガイド図

 最後にお決まりの登山口のガイド図の写真を撮って、避難小屋を片づけて帰路についた。帰りは暗くなってしまうので、来るときに通った152号の秋葉街道を浜北ICに出るルートはやめて、 418号と151号で帰ることにした。 驚いたことにこの遠州街道ルートは愛知県までまたいで帰ることになった。 三遠道路から浜松いなさJCTを経て新東名に乗り、静岡に帰りついたら22時だった。

 200名山の記録を書くときに頻出する言葉であるが、「この山は一人で行けるだろうかと考えたのがXX岳である。」いくつかの山は登る前にそう思った。池口岳はその距離の長さと歩行時間の長さからそう思っていた山である。 無雪期でかつ日没までの時間が長いときにチャンスを狙うしかない。 今回の行動は大胆ではあったが成功を納めたことに誇りを感じる。 それでも行動時間は12時間。 やはり普段のトレーニング不足がたたっているのがわかった。
(2015年5月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています