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赤牛岳
赤牛岳

基本情報
1 山名 赤牛岳(あかうしだけ)
標高 2864m(三等三角点)
山域 飛騨山脈(立山連峰)
都道府県 富山
位置 N36.27.42/ E137.36.12 
地図 昭文社 山と高原地図37「剣・立山・北アルプス」
2万5千分の1地図「薬師岳」
20万分の1地勢図「高山」
7 山岳区分 日本二百名山
登山記録
山歩No 2570-20023
登山日 2020年8月29日(土 )
歩程 11時間10分
天候 快晴のち曇り
形態 前日発3泊4日
アプローチ 富山地鉄有峰口駅バス折立
パーティー 1人


昔からどうしても行きたかった山がある。 赤牛岳である。 昭文社のガイドブック「日本200名山を登る(下巻)」の最後に「登頂困難な200名山」という記録がある。火山活動で登山禁止の樽前山・雲仙岳や登山道のない笈ヶ岳などはそれに列挙されているが、その他で山頂往復に時間がかかる山として遠い山の第一位が赤牛岳である。高瀬ダムからの往復で26時間という遠さは堂々の第一位である。 2020年8月、新型コロナウイルスの感染不安を抱えながら山小屋の営業もままならない状況で、北アルプスの縦走にテント泊で臨むことにした。 高瀬ダムから野口五郎経由で登る案も考えた。でも、やはり自分がこだわったのが雲ノ平を経由する今回のコースである。 我が家に1979年の「山と渓谷社 臨時増刊 槍・穂高・雲ノ平」という古い本がある。 この雲ノ平の高原でどうしてもテントを張りたいという気分になり、4日間という登山期間が確保できる時期をずっと狙っていた。

太郎兵衛平


8月26日の夜新幹線で富山へ移動。 ビジネスホテルに泊まって、翌朝8月27日(木)の6:12の富山地方鉄道立山線に乗車。 この4日間幸い天気は良さそうである。 有峰口で7:06に下車。 そこから折立へ行くバスに乗る。 この日は折立から太郎平までゆっくり歩いた。 太郎平の小屋では薬師峠でテントを張ったときに飲む日本酒を買う。ビールはテント場で売っているというから驚きである。
 

薬師沢へ

8月28日(金)4:15起床。 5:40出発。 太郎平まで木道を歩いて、そこから北ノ股・黒部五郎岳へいく縦走路と別れて薬師沢へと下る。 薬師沢小屋で行動食を食べて中休止。 そこから、薬師沢を渡っていよいよ雲ノ平への登りである。 沢を渡ると高天原との分岐を過ぎ、ここから雲ノ平方面には急登が始まる。コースタイム2時間10分、木道の末端までが正直今回一番きつい登りだった気がする。

雲ノ平へ

標高2564mのアラスカ庭園まで来ると展望が開けた。 正面に薬師岳がどんとそびえている。 昼飯のラーメンを作りながら、単独の女性と話をする。 彼女も折立まで同じバスで来てやはり薬師峠に泊まったということでる。 水晶岳・赤牛岳には行かずに三俣蓮華岳から双六経由新穂高温泉に降りるという。水晶岳・赤牛岳に行って読売新道を降りるというと、自分もいつかはそこに行きたいと思っているがまだ自信がないと言っていた。

雲ノ平キャンプ場から見る日本庭園

  アラスカ庭園から、アルプス庭園を経て、雲ノ平山荘へ。 テント泊の手続きをして、25分さらに東に進んでテント場に到着。 雲ノ平山荘のホームページでは今年はキャンプ場の三密を避けるために海の日の連休やお盆の時期のテント数を先着50張に限定するという。 自分が言った28日金曜日は、ざっと数えると張っているテントの数は35張くらいであった。 4人テントが張れる広いスペースを見つけて自分のアライテントソロを悠々と張った。


登山開始祖父岳山頂から見る鷲羽岳・槍ヶ岳・穂高岳

2020年8月29日(土)今日はいよいよ赤牛岳に登頂する日である。3:10起床。 4:40出発という計画で目覚ましをかけた。 今回、読売新道を下る長いコースを2013年に10人パーティーで進んでいた人達の記録を見た。 その方たちは水晶小屋に宿泊、6:45に水晶小屋を出発して、17時前に奥黒部ヒュッテに下山している。 自分は雲ノ平出発なのでさらにコースタイムで2時間40分余分に歩かなければならない。下山して小屋の夕食に間に合うという締め切り時刻はないものの、 一方でテントも食料も担いでいるのでおのずと時間がかかるはずである。 4:40出発というのは遅いかもしれないなどと思いながら前夜8:00前に寝てしまったが、隣のテントが2:45から起きだして出発の準備をしていたので物音で起きてしまった。 まだ3時になっていない空は満点の星であった。

 

水晶岳の登りから見る黒部五郎岳

朝4:00のスタート、もちろんまだ夜中なのでヘッドライトをつけての歩行である。 昨日、スイス庭園まで散策に来ていたのでその分岐を間違えないようにし、今回は三俣蓮華・岩苔乗越の方面へと進む。 祖父岳の登りでライチョウを発見。 うまく望遠を使って写真を撮ることができた。祖父岳から岩苔乗越へのルートは一か所、ふみあとと思しきところを進んでいったら道がなくなってしまい、後ろからついてきた2人組にまで3分ほどロスタイムを使わせてしまった。 岩苔乗越からはワリモ・鷲羽からの主稜線のルートと合流してワリモ乗越までくると、いよいよ正面に水晶岳の大きな山塊が現れた。


水晶岳山頂

水晶小屋でトイレ休憩。 祖父岳の山頂で一緒になった単独の男性は大きなリュックをここに置いてピストンするようである。 自分は大きなリュックのまま縦走である。 朝涼しいこともあり、水晶岳までの50分はさほどばてることもなく、ゆっくり進んでいった。 山頂直下はやはり岩場の険しいところがあるが注意深くのぼり、8:15、水晶岳の山頂に到着した。 1992年に初登頂した懐かしの山に、2度目の来訪である。記念写真を1枚だけとって先を急ぐ。 多くの登山者がここが終着点かもしれないが、私にとって、ここは本日の行程のまだ1/3地点なのだ。

 

温泉沢の頭

水晶山頂から足元に気を付けながら三角点のある北峰に登る。 ここは初めて来る世界である。最高峰が南峰なので皆、ここまで来る人は少ないようである。 北峰を出て道標がいよいよ赤牛岳・読売新道と記した標識になる。 前に進む方向に赤牛岳がよく見える。 9:40温泉沢の頭に到着。 前の日の雲ノ平の登りから一緒だった2人はここから高天原温泉に下るのだという。 自分はここで20分の休憩。 靴下を履き替え、バナナチップスの行動食を食べる。ここから2時間いよいよ赤牛岳までの長い縦走路となる。


岩ごろごろの縦走路

縦走路は最初2818mのピークを越えていくことになるが、ここがまず曲者だった。 石の積み上げられたところを通過するがペンキのマークがわかりにくく、間違って稜線上を進んでしまうと途中で道がなくなってしまった。 少し引き返すとピークから東側にちょっと下る道があり、そこを越えて進むと最終的に縦走路に出る道につながっていた。最低鞍部と思われるところで一度休憩をして、今度は2742mのピークを登っていく。 ちょうどすれ違う人が「いやはやここは山の塊のひとつひとつが大きいですよ。 赤牛の山頂はまだまだ先です。」と言っていたので、ニセピークに騙されないように力をうまく配分していこうとゆっくり進む。

2803mピークで転倒

2742mのピークをすぎて花崗岩の岩ごろごろの場所を過ぎると正面に2803のピークが見えた。 ちょうど鞍部が賽の河原のようにケルンを積んであったりするがガスが出ていると道がわかりにくいかもしれない。 2803のピークは山頂を通らずに、西側を巻いていくように見えてそこを進んでいたら、後ろから30代くらいの軽装の単独の男性が追いついてきた。 てっきり水晶小屋からピストンだと思って聞いてみたら、なんと、新穂高温泉から12時間かけて正午までに赤牛岳の山頂を目指しているという。 すごいパワーである。 水が底をつきかけているというので山頂で少し分けてあげますよといって先に行ってもらう。 このあとちょっとした岩場で浮石を踏んで滑ってしまい、手を少しすりむいてしまった。 よく考えたら昨日はずっと軍手をして歩いていたのに今日は素手で歩いている。 失敗した。

赤牛岳山頂

12:02、へろへろになりながら山頂に到着した。 先ほど追い越していった男性が山頂で休んでいたのでシャッターを押してもらう。 彼は赤牛岳の山頂でレッドブルを持った写真を撮るためにこれを大事にポシェットに入れてきたらしい。 お言葉に甘えてこのレッドプルの缶を借りて自分も写真を撮る。 富山に住む彼は、この前バイクで折立てに上がる途中で車道の脇でツキノワグマが座り込んでいるのを見たらしい。 山頂では15分ほど休んでいたが、また12時間かけて新穂高温泉に下山するといって去っていった。 レッドブルのキャッチフレーズは「翼をさずける」であるが彼が無事に降りられたことを願うとしよう。
 

山頂出発 危険なガレ場

山頂で、昼食に朝お湯を入れてあったアルファ米の五目御飯を食べる。 ちょっと量が多くて食べきれないかと思ったがなんのかんのいって一袋食べてしまった。 そうこうしていると読売新道から20代の男性が上がってきた。 トレランシューズである。 聞くと、奥黒部ヒュッテからこの読売新道を2時間半強で上がってきたという。えー、本当ですか?と思わずすっとんきょうな声で聞いてしまった。 今から自分はここを5時間かけて下るのであるが、そんな驚異的なスピードで登山が本当にできるのだろうか? 12:30に山頂を出発。 山頂を出るといきなり右手(東側)がガレ地となった危険地帯を通過する。 13:34、稜線の途中で休憩。 正面には明日のゴール地点である黒部湖が見える。 

ライチョウ出現

13:49、ハイマツの上につがいのライチョウが現れた。 今朝、祖父岳の登りで見たのに続いて2回目である。 デジカメをズームにして写真を撮る。 日本全体で生息数が3000羽程度、うち2/3が北アルプスにいるということではあるが、一日のうちに2回目撃したのは自分も初めてである。 つがいで歩いていたが写真を撮ろうと近づくとハイマツの上を器用にとんとんと渡って飛んで行ってしまった。 
 

恐ろしや読売新道

13:59、両線から離れた読売新道は木道のついた樹林の中の登山道となった。 読売新道の現在地を示す 5/8の標識があったので少し安心したがこの新道の怖さはこれかあらであった。 このあとの登山道の石が異常に苔むしていて足がすべることといったらない。 さらに標高2300mくらいで樹林帯があるのだが、これは道というよりは木の根の間のふみあとを4つんばいでつかまっていくような有様である。 もしかすると本来の道が台風の影響か何かで崩れてう回路のように作った道なのだろうか? このような歩きにくい道を先ほどのトレランの若者は本当に駆けるかのように登っていったのだろうか?
 

大杉

15:22スギの大木がある地点に来た。 地図の中であと2時間で目的地というところにつけられた標高1960m地点のようであった。 携帯のバッテリーがそろそろきつくなってきたのでYAMAPもうまく動作しなくなってしまったようである。 とにかくあと2時間、踏ん張って進むしかない。 一生懸命下っているようでどうも小さい上り下りがあるという印象だった。 朝、雲ノ平を出発するときに水はハイドレーションボトルに2.5Lを入れて、さらに500CCのペットボトルを2つもってきたが、もうそこをつきかけてきた。 赤牛岳の山頂で富山の男性に250CCほどプレゼントしたのはあるがそれでも、下山までに残高が500CC を切ったのはあまりない経験である。大木を過ぎたところで単独の男性に追い越された。 彼も読売新道を降りてきて今日は奥黒部ヒュッテに泊まるという。 
 

奥黒部ヒュッテ到着

16:45とうとう1/8の標識を通過した。 17:21、読売新道の登山口の標識が現れた。 沢の音が聞こえるのでもう東沢出合いのところまで来ているだろう。 17:30ついに奥黒部ヒュッテに到着。 先ほど追い越していった男性が宿泊手続きをしていた。 自分もテントの受付をして、テント場に行く。 先客が3張あった。 奥黒部ヒュッテがうれしいのは風呂があってキャンプ場の利用者も使わせてもらえることである。3日ぶりの湯舟でほっと一息。 テントで飲んだ500mmのビールのうまかったこと。 (この晩19時から21時くらいまで激しい雷雨が来てテントの裾は結構濡れてしまった。 まあ、明日は帰るだけだからよかったとしよう。)
 

念願の赤牛岳になんとか登り切ることができた。 日本でもっとも遠い200名山と言われる赤牛岳に30年来の夢であった雲ノ平のテント泊と組み合わせて実現することができたのは感無量であった。 
 
(2020年9月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています