 |
 |
基本情報
1 |
山名 |
森吉山(もりよしざん) |
2 |
標高 |
1,454m |
3 |
山域 |
出羽山地 |
4 |
都道府県 |
秋田県 |
5 |
位置 |
N39.58.36/ E140.32.39 |
6 |
地図 |
昭文社 山と高原地図5「岩手山・八幡平・秋田駒」
2万5千分の1地図「森吉山」
20万分の1地勢図「秋田」 |
7 |
山岳区分 |
日本二百名山・東北百名山 |
|
|
登山記録
山歩No |
2180-12015 |
登山日 |
2012年4月28日(土) |
歩程 |
3時間10分 |
天候 |
快晴 |
形態 |
日帰り(夜行3泊4日) |
アプローチ |
秋田内陸鉄道阿仁合より国道105号線阿仁スキー場 |
パーティー |
1人 |
|
 |
|
 |
|
|
2012年は10年ぶりにゴールデンウイークををまともにカレンダーどおりに休むことができた。残雪期の登山に興味がある自分にとってはうれしい限りだ。 夜行3泊4日でこの時期に山に入るというのは本当に20年ぶりだと思う。 当初、中央アルプスの空木岳から越百山への縦走を考えてみたが、小屋の営業状況等から断念。 東北山スキーというプランに切り替えた。 比較的この冬は積雪が多かったので、まだ楽しめるはずだと踏んで、岐阜の山スキー(鷲ヶ岳・大日ヶ岳)から帰った後、計画を立てた。 森吉山の阿仁スキー場が3月末でいったん今冬の営業を終了するも、GWに春スキー営業をさ再開するというインターネット情報をつかんだ。 よし、これだ。 長年の課題である森吉山に山スキーで登れる。田沢湖・角館まで夜行バスで入ってから秋田内陸鉄道で阿仁合まで行くルートだが、どうも、夜行バスと鉄道の接続がよくない。 出費はかさむが田沢湖でレンタカーを一日借りることにした。
|
夜行バス 羽後交通秋田行き乗車
4月27日(金)前日までにすこしづつ小分けにして、荷物を会社に運び込んでおいた。 20時に、会社の近所で夕食を済ませて、ビルの地下のコンビニで寝酒を買って、夜行バスの出発点である浜松町に向けて21時に会社を出た。 20分ほどで、大門の駅に到着。 バスターミナルは世界貿易センタービルなので、オフィスビルの中を通っていく。 途中でコンビ二があり、また寝酒を買い足す。22時に待合ロビーにいったが、ひっきりなしに行きかうバスに乗る乗客で混雑していた。 弘前行きは8台も仕立てられているようで驚いた。 22:25、羽後交通の自分の乗るバスの2号車に乗車。 荷物を預けたが、相当にトランクは一杯だったものと思われる。 バスは23時に消灯。 そのあとはいったんすぐに眠ってしまったが、24時すぎに起きてしまい、ラジオを聴いてからまた寝た。 |
 |
田沢湖駅
4月28日(土)バスは定刻よりも少し早めに運行しているようだ。 横手でずいぶんとたくさんの人が降りた。 角館でも相当数が降りて、バスの中はガラガラになり田沢湖まで乗っているのは自分ひとりだった。7:35に田沢湖に到着。 運転手が、今なら乳頭温泉行きの45分のバスに乗れるよ!といってくれたが、今日は森吉山なのでトヨタレンタカーですというと、あそこ遠いからな。 とにかく荷物をいったん駅に運び込んで、BAの後、8:00になるのを待ってレンタカーやに電話をする。担当の方がすぐに自分が乗るラクティスで迎えに来てくれた。 |
 |
田沢湖-御座石神社
荷物を積み込んで、事務所に行き、免許証とクレジットカードで手続き。 そのあと、ナビで阿仁スキー場を設定するところまでやってくれて出発。 ナビの指示のとおりに国道を進む。 最初、距離が71kmと出ていたので想像以上に遠いことを知った。自分が地図の上から目測したところ50Kmくらいだろうと思っていたので、1時間半くらいで到着と踏んでいたが、実際、ナビ上では到着予定時刻は2時間20分先の10時半を示している。やれやれ。 時間はないとはいうものの、景色のきれいな御座石神社に停車して、参拝をする。朝も早いので、まだ参拝客は少ない。秋田藩主佐竹義隆公が田沢湖を遊覧した際、腰をかけて休んだことに由来する神社の名らしい。たつこが姿を映した「鏡石」はここから少し歩いていくらしいが時間がないので省略し、 湖に突き出た鳥居で写真を撮り、さらに車を進める。 |
 |
道の駅「阿仁」
やがて大覚野峠を越えるころには標高の高いところにはまだまだ雪がついていることを知った。 峠からよく整備された道を下り比立内の町に入りマタギの村という看板のある道の駅「阿仁」によって、 コーラを買ってのどを潤す。 弁当代わりになりそうなおにぎりなどがないかと店内を物色したが、さすがにそんなものはおいていないようだった。 阿仁川沿いに車を進めていると隣の架線を秋田内陸鉄道の車両が通り過ぎた。 本当は、この電車を使って角館から森吉山へ行きたかったのだが、夜行バスの到着時刻から接続が難しいことを知り断念してレンタカーとなった。 まあ、天気がよく国道105号線のドライブも気持ちがよいものである。
|
 |
阿仁スキー場・ゴンドラ
阿仁合の少し手前から道は分岐があり、南東方面に1.5車線の細い道をスキー場に向けて入っていくことになった。 4駆の車がなれたハンドルさばきで後ろから来たので道を譲った。 阿仁スキー場到着10:00。 寝袋や着替えなどはできるだけ車の中に残して、荷を軽くして、阿仁ゴンドラの1Fへ。 トイレを済ませてゴンドラ往復券を1600円で購入。 このスキー場は通常3月までの営業であるが、ゴールデンウイーク(GW)に春スキーシーズンということで再び、ゴンドラと上部のサンシャイン・コースだけを営業再開するらしい。 係りの人の言うことには、毎年GWに営業しているわけではなく、今年は積雪が多かったから数年ぶりのGWの営業が可能になったのだという。 その意味で、今年このゴンドラを使って森吉山に山スキーに来ることができたのはラッキーだったといえよう。
|
 |
森吉山頂への登り
山頂積雪140cm。 十分である。ゴンドラは、GWが終わると再び休止し、6月1日からの花の百名山営業を待つことになる。 登山届を提出する場所をゴンドラの切符売り場の人に尋ねるがよくわからないと回答された。 鷹揚としたものだ。それだけ、事故は少ないのだろう。景色を堪能ながらし一人で乗ったゴンドラの車内で日焼け止めを顔に塗り、約15分ほどで山頂駅に到着。10:35歩き出し。シールをつけて山頂駅からの斜面を北東に上がっていく。 少し上で、2人のスキーヤーが立ち話をしている。 ひとりは、板を持って山頂まで行く人のようだ。 その先には単独行の女性の姿も見える。 お二人とも足どりはしっかりしている。
|
 |
阿仁避難小屋
11:07石森到着。 めんどうくさいので、スキーを履いたままで休憩する。 単独行の秋田男性と、単独行の女性と次々に追いついて休憩。今年の雪の話しなどをされる。北の稜線上に森吉神社が見えるが、4月3日に列島を襲った爆弾低気圧の暴風の影響で、屋根が飛んでしまっていた。11:17出発。 石森からは少し下り。 シールをはめたまま、下りて平らになったところをトレースの沿って進むとやがて避難小屋の建物が見えていた。11:33避難小屋到着。休憩している人もいるようだったので、中には入らず、2Fの窓から小屋の内部の写真を撮る。非常用か、寝袋と、銀マットも備えてあるようだった。 2Fにはたくさんの赤テープをつけた竹ざおがおいてあった。3人組のスノーシューの若者たちが、小屋の前で休憩していた。 ここからは北北東に稜線に沿って進む。一旦数メーター下ると広い原地だ。 ここが稚児平と呼ばれるところか 赤いテープが樹木に巻いてあるのでルートファインディングはさほど困らない。
|
 |
森吉山頂(向岳)
山頂の直下では雪が飛んでいたので、スキーをはずすことになった。既に、先着の2人組の方はスキーをデポして上がっているようだ。 12:09向岳山頂到着。標高1454.3mの三角点にタッチ。 実に景色がいい。東に岩手山の颯爽とした姿が見える。その南には、八幡平のたおやかな峰と明日の登る秋田駒ヶ岳が見えている。西には出羽の太平山もあり、東北の主だった山の景色を楽しむことができた。 湯を沸かしてマルタイラーメン鹿児島の味を食べる。 ラーメンの具をリュックに入れるのを忘れたので素ラーメンとなってしまった。そうこうしていると、先ほど単独女性も山頂に到着した。ブログにたくさんの写真を紹介されている 「花のワルツ」さん。 園芸や森吉山の自然紹介など多趣味にこなしておられる方だ。Cannonの一眼レフを持って、登る途中もずっと写真を撮られている。先日、オオルリを見かけたといって喜んでおられた。 もうずっと秋田のお住まいだが、ご出身が東京で私の実家と同じ駅だったので思わす、ローカルな話しに花がさく。秋田に来て東京の話がローカルということもないだろうが。ラーメンを食べてパノラマ写真を撮り、13:10下山開始。
|
 |
稚児平への快適な下り
シールをはずしてもと来た斜面を滑って下りる。 途中で追いついたカップルにお願いして、滑っているところの動画を撮影していただく。 稚児平まで快適な斜面。荷物軽いし、ハイマツも気にならないので、軽快にターンを決める。 他人のホームページでは、この斜面を何度も登り返して滑りを楽しむ方も多いようだ。 標高1312の避難小屋までほぼ15分で下りてしまった。 小屋の前では、まだ先ほどのスノーシューの3人がいた。雪洞を掘る練習をしているようだった。 高校の山岳部の訓練なのかもしれない。石森までは登りになるので、流れ止めをつけたまま、スキーを引きずり、ツボ足で歩く。先ほどのカップルは北斜面から森吉神社へと下っていった。 13:45石森到着。休憩して水を飲む。 ここから撮る森吉山の姿もきれいだ。
|
 |
下山-ゴンドラ山頂駅
13:53出発。 もう、スキー場のゴンドラ駅は眼下に見える。 きもちのよい斜面をいったん、サンシャイン・コース側のリフトのほうにおりてをそこからチャレンジコース山頂駅に向けて滑り込む。 14:00山頂到着。 スキーヤーの中には、パラダイスコースをゴンドラの山麓駅まですべる人もいるようだが、公式にはこのコースは雪不足のため既に閉鎖となっており、自己責任で下りてくださいということになっている。 あまり技術のない自分はレンタカーを返却する時間もあるので、無理せず、ゴンドラを下りにも使うことにした。14:23下山。自動販売機でCCレモンを買ってのどを潤し、荷物を片付けて15時に車を出発させる。 ナビは再び、レンタカーの田沢湖営業所到着予定を17:30と示しているが、実際にはそんなにかからない。
|
 |
たつこ像と乳頭山
途中で時間に余裕がありそうだったので、田沢湖一週コースを通ることにした。 定番のたつこ像の前で相当数の観光客がいたが、あまり大型バスなどは停まっていなかった。 水量が少ないのか像の真下まで下りて写真を撮っている人もたくさんいた。 16:20出発。田沢湖キャンプ場前のENEOSでガソリンを満タンにし、16:50にレンタカーを返却する。 また係りの人に送ってもらい、17時に田沢湖駅に到着した。 バス停の前のみやげもの店「みずうみ」で店主のお勧めの「ちーずがっこ」をつまみに購入し、17:20に乳頭温泉行きのバスに乗車。 2年前に八幡平帰りに立ち寄った田沢湖スキー場の横を通り、しゃれたペンション・ホテルの立ち並ぶ田沢湖高原を過ぎてバスは18:07に終点の乳頭温泉に到着した。 黒湯温泉の送迎車が来ていたので、群馬から来ている親子連れの女性2人とともにそれに乗せてもらい、10分ほどで黒湯温泉の受付棟に到着。 チェックインカウンターはまるで山小屋のようだ。 |
 |
乳頭温泉(黒湯温泉)到着
車を降りて雪の坂道を下りるところで親子から写真を撮ってくれと依頼された。 あとでお礼に温泉たまごを頂戴した。 受付を済ませて茅葺の自炊部の棟に案内されて、19時から食事。 カフェで出していただいた親子丼は心がこもっていて素晴らしい味だった。 特に、味噌汁のまろやかな味は絶品だった。若竹と鶏肉の和え物を肴によく冷えた生ビールを飲んで感激する。 食後、明日朝から出発するので会計を済ませる。ご主人に、乳頭山に登るが登山届けはここで出していいかと聞くと、非常時のこともあるので出していってくれとのこと、「まだ、相当に雪がありますよと」と注意されたので、「でもバスの中から見えた山もスキー場もかなり融雪してしまっていて、ピッケルやアイゼンを持ってきたのが無駄だったんじゃないかと思ってるんですけど。」というと、「いやいや、その準備されて登られたほうが確実です。」とのお答え。 結果的にこのご主人の慧眼に翌日感謝することになる。
|
 |
男女別外湯-混浴風呂もトライ
部屋で身つくろいをしたあと、早速、風呂に行く。男女別の外湯はとてもひなびたつくりで気持ちがよかった。 係りの人が温度を計測にきたが38度だということで少し低いので温度をあげてくれることいなった。露天風呂からは満天の星が見えた。 一度、風呂をあがって20:30、同じく外湯のこの黒湯温泉名物である混浴露天風呂に行くことした。 受付のときに係りの人が「水着は禁止」「タオルを巻いての入浴もお断りしています」というので、「それじゃ、女性は入る人少ないのではないですか?」と聞くと、「いえいえ、結構人気をいただいたおります。」との説明。 興味津々で、男女別と分かれている脱衣所から温泉のほうへ入ってみると。。。。。
混浴風呂から上がって、明日の用意をして、名酒「黒湯温泉」をつまみの鮭トバとともにいただく。 日没のあと急速に気温も下がってきて寒いと感じながら、ふとんに包まって22時就寝。
|
 |
阿仁ゴンドラを使ってスキー場からの森吉山往復は手ごろな山スキー初級コースだ。マイカーで来て東斜面などを登り返して楽しんでいる人も多いし、今回は見かけなかったが、ボードをかついで山頂まで行く人もいるらしい。 残雪期の森吉山。 ぜひお勧めである。 きっと樹氷の季節に天気がよければすばらしい登山になるだろう。
ちなみに、この1週間前の4月21日、鹿角市八幡平の秋田八幡平クマ牧場で、クマが雪山を登って運動場の外に逃げ、女性2人がヒグマに襲われ死亡した事故があった。これもあって、秋田の山に登ると友人に話すとクマには気をつけろよといわれた。 北秋田市も阿仁熊牧場があり森吉山近辺はマタギの村としてクマが有名だが、今回、森吉山登山中にクマを見ることはなかった。 (この2日後、秋田駒ヶ岳でクマと遭遇することになるのだが。)
(2012年5月 記) |
|