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暑寒別岳
暑寒別岳

基本情報
1 山名 暑寒別岳(しょかんべつだけ)
標高 1,492m (一等三角点本点)
山域 増毛山地
都道府県 北海道
位置 N43.42.56/ E141.31.23 
地図 昭文社 山と高原地図2「ニセコ
羊蹄山・暑寒別岳」
2万5千分の1地図「暑寒別岳」
20万分の1地勢図「留萌」
7 山岳区分 日本二百名山・北海道百名山
登山記録
山歩No 2030-13014
登山日 2013年5月2 日(木))
歩程 7時間30分
天候 晴れ・曇り後雪
形態 日帰り
アプローチ 深川留萌自動車道留萌大和田ICより国道231号増毛
パーティー 1人

2013年 のGWは5月2日(木)の平日に有給休暇を使って、6連休とし、長年の夢であった北海道への山スキーツアーに出かけた。インターネットで記録を公開されている方がみな暑寒別岳の山スキーを絶賛している。 もちろん、夏に行っても雨竜沼湿原を歩いて花を楽しむことができるいい山ではあろうが、これだけの山スキーのクラシックコースがあるのにトライしないのは失礼なような気がして今回の予定に組み込むことにした。週間天気予報が悪いのがどうにも不安である。

羽田空港出発ロビー

 5月1日(水)、正午に自宅を出て京浜急行に乗って羽田空港へ行く。 天気は曇り。 西日本は良い天気となっているようだが、関東はいまひとつぱっとしない空模様だ。 ただ、週間予報ではGW期間中は西日本も東日本も天気がよい予報だ。唯一悪い予報は北海道だ。 2日は午後から雪。3日も雨という予報だ。 4日も曇り、5日になってやっと晴れマークが出てくる。 何しろ単独行の山スキーなので危険を伴う。 当初、中止することも考えたが航空券も安いチケットなので搭乗しなくても50%は返ってこない。予備日1日使ってそれでも計画した300名山3つのうちのひとつでも登れればよしと腹をくくって出かけることにした。 羽田空港はまだ3日までの4日間の連休の間だということと平日の午後ということもあり比較的閑散としている。第一ターミナル地階の「てんや」で遅めも昼食に「羽田天丼」をいただく。 

旭川-三浦綾子記念文学館

  旭川行きのJAL1113便は乗車率60%というところだろうか。 定刻の15:15に離陸し、16:55に旭川空港に着陸。 ずっと飛行中下界は雲に覆われており窓側の席だったが東北・北海道の山を見ることはなかった。 それでも、旭川空港に近づくと遠くに大雪山の連峰が見えた。 残念ながら標高1000m以上は雲に隠れていて見えない。旭川空港のレンタカー受付横の総合案内でEPIタンクが購入できるのは、昨年秋の遠征で調査済みである。 ハイパワーのタンクを1つ買って、レンタカー会社に電話をして迎えに来てもらう。 今回、借り出した車はホンダのストリーム。7人乗れる4駆だ。 暑寒別岳の登山基地である増毛町まで4時間走る必要があるが、まず、旭川の神楽町に入って三浦綾子記念文学館に寄ってみる。 もう18時を回っているので開館していなかったが、ぜひ一度訪問したいところである。 昨年秋の天塩岳アタックから帰ってきてから「塩狩峠」を読んだ。 北海道は自然が豊富な地域であるとともにすばらしい文学・芸術作品にも恵まれたところである。

暑寒荘の個室を独占して就寝

  カーナビの示すまま、旭川鷹西ICから道央道に乗り、深川JCTからから深川留萌道を走る。 ナビは古かったようで、結局増毛町まで行くためには終点の大和田インターで下りればよかった。 そのまま留萌井国道を走り、途中20時の閉店ぎりぎりのドラッグストア店に飛び込んでパンや酒を買い込む。 暑寒荘のはっきりした場所はナビでは表示できなかったので、増毛町役場を行き先にして進む。 いざ、到着するとナビに暑寒別キャンプ場の表示が現れたのでそれを目指す。 昨日、暑寒荘の管理をされている「喫茶ポルク&コティー」(0164-53-3839)に電話で道路の状況を教えていただいていた。最後駐車場まで除雪されているといことで安心である。 最後の400mほどが未舗装だったが問題なく暑寒荘に到着。 空には星がきれいにまたたいていた。 明日、天気がいいといいのだが。 駐車場には2台の車が駐車してあり、暑寒荘には高校生と思われる男女3人ずつくらいがまだ起きていた。 寝ている人もいるのを確認し、あまり音を立てないように2階に上がり、空いている個室を一人で使わせていただく。ストーブも入っておりとても快適だ。 一人宴会をして22時半就寝。 

出発-暑寒荘より

  翌日5月2日(木)朝4:30起床。 さすがは緯度の高い北海道だ。 ずいぶん早い夜明けだ。 外で湯を沸かしてカップうどんの朝食をとり、6:13に出発。 高校生の引率の初老の男性にシャッターを押してもらい暑寒荘の前で出発前の写真を1枚。20-50mの間隔で樹林に赤い丸印のツアー標識の番号がある。 1番から樹林帯の最後まで100番まであるようだ。 大きくて目立つのでこれがある間は道に迷う心配もないだろう。 歩き出しは板を担いでいたが、7:00に標識25番のところで休憩した際にシールを出してスキー歩行で行くことにする。 林道のような道なので傾斜も緩やか快適な登りである。 7:30ごろ痛恨のミスが発生した。スキーのトレースに従って歩いていたが気がつくと赤い標識がひとつも見えないところにきていた。標識の33番くらいまでは確認できたいたのだが、尾根伝いではなく、それよりも西の斜面を登っている状況となってしまった。トレースがきつい斜面を横断しており思ったよりも歩きにくい。 途中、小雪崩の跡もあり40分ほど歩いたがこのまま進むべきかどうか迷う。 

ルートミス- 地点36まで引き返す

 ふと気づくと頭にかぶせていたはずのゴーグルが見当たらない。 どこか途中で樹林に引っ掛けて落としてしまったのだろう。 やはり、ゴーグルを探しながら、もとの道に引き返すべきだと考えて戻った。  果たしてゴーグルは10分ほど戻った途中の枝に引っかかっていた。8:40、標識36の地点の到着。 1時間のタイムロスだ。 とにかく無事に正しいルートに戻れたのは幸いだった。 ここから、赤い円の標識を注意してみながら38-39と進んでいく。 次第に坂は急斜面となり尾根の上にとりついた。 ここが標識50の「佐上台」の展望台だ。9:00ちょうどにここで休憩して写真を撮る。 稜線の東側の景色を見晴らすことができた。尾根の先の暑寒別岳の山頂方向を見てみるが、上部は雲に覆われている感じだ。 ふと見ると稜線の上に4名の登山者がいるのを見つけた。 皆山スキーヤーだ。 私が出発するときにはいなかったパーティーなのでルートを間違っている間に追いつき追い越していった人たちだろう。 佐上台からゆるい下りでまたすぐに登り返しとなる。 少し東側に雪庇が出ており根元にクラックがあるのが見つけられたので用心して離れたルートを取る。 

ひたすら登る

  少し危険な首のような部分を通過すると再び稜線は広くなり、シールを効かせてあがっていく。前を歩いている4人組との距離は狭まり、追い抜いて挨拶を交わす。 10:03に80番の標識の前で休憩。 ここからは横にだだっ広い斜面をジグザグを切って登っていくことになる。 樹林がずいぶん薄くなってきたので赤い標識が見えなくなってきた。 上から声がするので誰だろうと思っていたら、昨夜、暑寒荘で同宿だった高校生6人組と大人2人の引率の方だった。 引率の方の一人は朝シャッターを押してもらったので、先に行っているはずの私とここですれちがったのをいぶかっていた。 実は道を間違えたと頭をかきかき弁明。 彼らもえらく下りてくる時間が早いので聞いてみると、結局1175mの見晴台のところまでいって、完全にガスにまかれてホワイトアウトになってしまった上、子供たちはアイゼンを持っていないので、それ以上登るのは危険と考えて引き返してきたとのこと。 確かに、天気予報では午後から雪となっているので賢明な判断であろう。 

次第にガスがきつくなる

 一人、元気な男性が後ろから颯爽とシールを鳴らしてやってきたと思ったらあっという間に自分を抜き去っていった。 すごい体力だ。 さらに登ると2名の山スキーヤーが降りてきた。 彼らも、暑寒別荘では会わなかった人たちなので、自分が道を間違えている間に追い越していった日帰り組だろう。 様子から察するにやはり登頂は断念して下りてきているのか。 ちょっと離れた斜面を滑っていったので会話して状況を聞くことはできなかった。 ただ、このあたりから相当ガスがきつくなって、もしかしたら相手は私の姿を認識しなかったかもしれない。 樹林が薄くなってきたこともあり赤い標識が見当たらない。 高校生たちが下りてきた足跡があるので、それをたどってあがっていく。斜度があがってきたのでもうすぐ見晴台といわれるところであろう。 

ホワイトアウト→ トレースが見えない→撤退決断

 このころから風が出始めた。 さらに雪も降ってきていてほとんど視界が数メートルしかない状態だった。だんだんと足跡が見えなくなっていった。 自分はシールをつけて登っているのでどうしてもこのぐらいの斜度の登路になるとジグザグを切って進まなければならない。 他方高校生たちはまっすぐつぼ足で下っているのでいったんトレースを離れる場面があるともう次に探すのが大変になる。 あせってはいけないと思い、いったん休憩をとって水を飲みカロリーメイトで腹を満たす。 次第に降雪が激しくなってきた。これ以上進むのは危険である。 視界が悪い上に自分のトレースすら風と雪で消されてしまう恐れがある。 以前、5月の月山でスキーヤーのトレースを追尾しているつもりが道がわからなくなり下山できなくなって失敗した苦い経験がある。11:08残念であるが撤退することを決意した。 かつてテレビでイモトアヤコが南米最高峰アコンカグアを目指したが体調不良でリーダーが下山を決意した際に言った言葉「ここをもって山頂とする。」 まさしく私のこのときの思いだ。 (このネタは前に「鷲ヶ岳」の時にも書いた記憶があるのだが。。)山頂まで行っても危険な上に、何も展望はないはずだ。 それよりも、ここまで登ってこれたことを誇りに思うことにしよう。

佐上台

  シールをはずして慎重に足跡を探しながら下山を開始する。 高校生たちのものとみられる踏みあとは自分の登ってきた道よりも西側をまいていた。 やがて、木につけられた97番の赤い標識を発見した時には、やっとほっとした。 終点が100番なので、自分の登りついた高さがほぼ100番の位置だろう。 赤い標識はどこかの木にあったのだろうがついに見ることはできなかった。 96番、95番と忠実に標識を見つけて下る。 先ほど休憩した80番のところ、ここが標高1000m弱だろうか。 ここまで来ると視界がだいぶ良くなった。 やはり雲は1000mの高さより上を覆っているようだ。 少し登りかえして佐上台で山頂記念写真に相当するものを撮影。ありがたいことに標識にはちゃんと「暑寒別岳」の文字が入っている。 

快適な下り

 佐上台からの下りは視界もよく、楽しい山スキーの滑降を楽しむことができた。 赤い標識の先を見据えながら急過ぎず緩過ぎない斜面を疎になった樹林の間をぬって下りていく。 思わず、ヤッホーと叫びながら誰もいない天然ゲレンデをかっ飛ばしていく。 30分ほどで、スタート地点の暑寒荘へたどり着いた。高校生たちの引率の2台の車はもう無くて出発の時には無かった車が1台残っているだけだった。 自分が荷物を片づけていると、その車の主である自分が追い抜いた4名も下山して到着した。 おそらく車が無いことから颯爽と自分を抜いていったすごい体力の持ち主もホワイトアウトの中気づかぬうち下山したと思われる。どうやら今日は誰も登頂できなかったということなのだろう。13:35、荷物を片づけて車を出発させる。

岩尾温泉―白銀の滝

 増毛町から国道231号線を石狩方面に20分ほど進んだ雄冬岬の少し手前に岩老という町があり、そこにある日帰り温泉施設「岩尾温泉あったまーる」
(0164-55-2024)に立ち寄った。自慢の露天風呂からは国道をはさんで海が広がる。 なかなか雄大な眺めだ。 ただ、いかにも寒い。 外は粉雪が舞っている。 本当に5月なのかと疑う気温だった。 しかし風呂に入って生き返った。 国道231号線を海沿いにひたすら走るドライブはどんよりとした空の下北海道の荒涼とした海を見て感動を覚えた。 丘陵が海の際まで迫っており、白銀の滝は落差があってなかなか見事な景観だった。ラジオで札幌の気温が4度だと言っている。 今日の最高気温がである。 あまりに寒いのと明日雪の予報なので、朝里経由で余市岳を目指すのはやめて、ついでに車中泊もやめて札幌のビジネスホテルを急遽予約する。 平日なので空室も多く駐車場有でお買い得料金で泊まれた。 晩飯はホテルへ向かう途中の郊外の回転寿司店に入る。本州ではあまり見かけないナマコの軍艦に舌づづみを打つ。 まだ、運転中で熱燗をオーダーできなかったのが残念だった。 


 春の北海道遠征、半年前の2012年の秋はなんのかんのと途中の悪天もあったものの、目的のニセイカウシュッペ山と天塩岳の両方ともピークを極めることができた。 しかし今回は出だしから山頂にたどり着けないという残念な結果になってしまった。 残雪期というものがそれだけで山を難しくすることを改めて痛感した。 登山道が雪に埋もれている状態というのは、ルートを自由に選んで登頂ができることと裏返しに悪天になると下山路がわからなくなる。 帰ってきてからこのときの話をすると皆口をそろえて言う。 「何度も登っている地元の人があきらめて下山している状況の中で無理をしなかったのは正解だよ。」 だからこそ、今ここで手記を書いていられるのだ。 感謝しなくてはいけない。
(2013年5月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています