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基本情報
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山名 |
芦別岳(あしべつだけ) |
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標高 |
1,726m (二等三角点) |
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山域 |
夕張山地 |
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都道府県 |
北海道 |
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位置 |
N43.14.09/ E142.17.01 |
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地図 |
2万5千分の1地図「芦別岳」
20万分の1地勢図「夕張岳」 |
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山岳区分 |
日本二百名山・北海道百名山 |
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登山記録
山歩No |
2060-23037
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登山日 |
2023年7月8日(土) |
歩程 |
10時間15分(新道コースー芦別岳-旧道コース) |
天候 |
晴 |
形態 |
テント泊日帰り |
アプローチ |
道東自動車道・占冠ICより41km、山部西線、山部自然公園 |
パーティー |
1人 |
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芦別岳(あしべつだけ)は、北海道・夕張山地のほぼ中央に位置し、富良野市・芦別市・南富良野町にまたがる標高1,726 mの山。山頂は、富良野市と南富良野町との境界にある。日本二百名山、および北海道百名山とに選定されている。中生代ジュラ系空知層からなる壮年期の山形を成し、特に山頂付近では鋭鋒をなしているため北海道のマッターホルンとも称される。 独立峰であることから、いつか夕張岳とセットで登りたいと思っていた。
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山部西線
2023年7月の北海道遠征の山の旅も第5座目となった。 増毛町の暑寒別岳を下山して、少しずつ薄暗くなる中を国道275線を南東へ車を飛ばして次の山の登山基地である富良野町のキャンプ場を目指す。 途中滝川市でマックスバリュに立ち寄り、当日夜の食材に加えてビニール袋と安全ピンさらに洗濯物を干すためのロープと洗濯ばさみを購入した。 空知川に沿って国道38号線を芦別市の中を通り、滝里湖を越えて富良野へ入る。 ハイランド富良野の標識が見えたので風呂に入っていきたいという欲求が沸いたが、このままでは日没までにキャンプ場まで到着しないリスクもあると考えて、あきらめてコンビニでビールだけ買ってそのまま南へと進む。
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山部自然公園太陽の里
夕方7時半を過ぎてからようやく山部自然の里自然公園太陽の里へ到着した。 このキャンプ場は特に料金を払うところもないので、そのまま芝生のテントを張るのに適したところ探す。 すでに10割ほどのテントがあったが、さほど混雑している感じはない。 少し暗くなりかけていたのでヘッドライトをつけての作業になったが、草の上の気持ちの良い場所でテント張る、炊事場もトイレも完備している。 昨日から来ていたTシャツなどが汗で汚れていたので、炊事場で洗濯をする。 もテントに買ってきたロープを張って干しておいた。 明日、芦別岳に登るときに、テントを張ったままなので、その間に洗濯物が乾いていてくれればいいという魂胆である。 テントに入るスーパーで買ってきた惣菜を夕食に食べる。 このキャンプ場はところどころに常夜灯があるが少し離れたところにテントを張ったので明るすぎるということはない。 せっかくのキャンプ場で炊事棟も近いので水道で鍋を洗う。 隣のテントの年配のk女性が犬を連れて鍋を洗いに来ていた。 もう何日もこのキャンプ場で宿泊しているようである。テントの中で酒を飲んで20時に就寝した。
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新道登山口
7月8日(土) 朝4時に起床。 干してあった洗濯物の乾き具合をチェックしたら、少し朝露で濡れてしまったようであった。 朝食にカップそばをつくる。 沸かした湯をアルファー米にも注いでおく。テント張ったまま出発である。6:03
16リットルのサブザックを背負って、ピッケルをもって、キャンプ場を出発する。 ユーフレ川のそばで動画のオープニングの撮影する。 そこから少し南に5分ほど歩くと、夕張岳の登山口がある。 新道コースの登山口のすぐ手前に広場があって、駐車場になっていた。 土曜日だということもあり、朝6時から随分と車がたくさん駐車場に入ってくる。 登山口もにぎわっており、登山届を記入するのに列ができるぐらいである。 札幌市から来た若者の男性2人と話をする。 自分が腰につけている熊スプレーを見て、ストッパーの上にプラスチックの紐が巻かれているのを見て、このままだといざという時使えませんよ、と教えてくれる。 途中でナイフを取り出して、この紐は切っておく必要があるようだ。
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呻吟坂
6:11 新道コース登山口を出発する。標高330m。 鹿よけのゲートを開けて進む。 ここから樹林の中を登り始める。 後ろから7人組のグループが追いこしていく。 皆さん健脚で元気である。 話を聞いていると自衛隊の方たちのようである。さすがだ。 登山道は次第に傾斜を増し、やがて坂がつづら折りになる。「呻吟坂」と書かれた立て札が見えた。呻吟坂と書いたその下に「序曲」と書いてある。序曲があるということはまだまだこれから続きがあるということなのだ。 しばらく進むと「呻吟坂 負けるな」 と書いた立て札もあった。もう太ももは負けそうである。 道は広く歩きやすい。
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見晴台
7:34 見晴台と呼ばれる休憩に最適なところに辿り着いた。 標高880m。 ここで腰を降ろして休む。 東側に朝日を浴びた富良野の市街地がよく見渡せる良い場所だ。 ただこの後に25人組が現れて、皆さんが休憩したので、あっという間に座る場所がなくなってしまった。あまり長居をしても迷惑なので早々に出発することにする。 ここから道は尾根に沿って上がっていくようになる。ところどころ手を使わないといけないような場面もあったが基本は分かりやすいルートである。鶯谷と言われ書かれた札野ある分岐地点に辿り着いた。 標高1114m。 地元の男性2人組が木にもたれかかって休憩していた。 聞いてみるとこの呼び方はウグイスダニで良い、と言う事である。 ユーフレ沢の避難小屋から沢を経由してこの南側の尾根にとりついて新道コースに上がってくるルートがあるようだが、 実際にはそこをルートとして使ってる人はあんまりいないようである。 古いガイドブックには出ているがYAMAPにもヤマレコにももはやそのルートの記載はないようであった。 鶯谷から今度は方角を南西に変えて、尾根に沿って再び歩き出す。正面に急な傾斜が現れた。
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半面山
9:15 半面山到着。 標高1377m、 ここからは南側の眺めがよい。 アプリで調べてみたが日高山脈の山々も見えているようである。 座って食後のデザートというゼリーを食べた。 まだここから標高差で400m以上登らなければならない。 半面山から芦別岳までは今度は北西への登りとなる。 半面山を出てしばらくは平坦である。 右手に屏風岩(標高1482m)が見える。 少し緩やかになったところを通過すると熊の沼と呼ばれる湿地帯である。 ここに遭難碑が立てられていた。 ここから雲峰山まではジグザグに切って傾斜を進むのだが、 森林限界を超えているので前がよく見える。 6月から7月にかけて、ハクサンチドリの高山植物が咲き誇る場所である。 |
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屏風岩を眺める登山道
今日は天気がいいので眺めがよい。 ここから見る芦別岳の姿は結構迫力がある。 雲峰山の山の手前でトレランの単独の女性とすれ違った。 彼女は登る自分をぬかしていった人ではないので。おそらく旧道コースから上がってきて、そしてこの新道コースを下るのであろう。 すごいスピードである。 クマが出るという噂もあるこの芦別岳をちいさなクマ鈴だけでトレランで走ってるというのは驚きである。先ほど鶯谷で一緒だった男性2人組と前になったり後になったりしながら雲峰山までの急な坂を上がっていくがある。
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雲峰山から芦別岳を眺める
10:09 雲峰山到着。ここからは正面に芦別岳の姿が見えた。雲峰山から一気に鞍部まで40mほど標高を下げるのであるかちょっともったいないという感じがする。 鞍部から芦別岳まではルートがはっきり見えるので迷う心配はない。 辺りを覆う樹林帯はすっかり姿を潜め、目指す山頂へ続く斜面がしっかり確認でる。山頂と思われるところから人の声もしている。芦別岳の山頂直下は少しやばいになっておりロープにつかまりながら登っていくようなところがある。 約200mの標高差を登り、最後に出てくる岩場を越えるとそこが芦別岳の山頂である。
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芦別岳山頂
10:50 芦別岳山頂到着。思ったよりも山頂は狭く、6人ぐらいの人が休んでいたが、結構ぎゅうぎゅうづめの感じであった。 あとで25人組がきた時には、一体どうなるのであろう。 芦別岳からは眼下に富良野の町が広がっていた。 山頂から夕張岳が結構近くに見えたのが印象的であった。 さらに景色で感動したのは、これこれから進むであろう旧道コースがしっかりと見えていることである。 旧道コースから歩いてる人も見えるのだが、新道コースと比べて全然人が少ない。 確かにガイドブックを見ると、旧道コースは岩稜帯や急こう配が多い上級者コースと記載されている。 登山口で出会った札幌の2人も時間があったら旧道コースへ下山すると言っていたが、 実際には先に山頂についていたものの、昼寝をしていたので、おそらくそのまま新道コースを引き返すのであろう。
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旧道 お花畑
山頂で持ってきたアルファ米を食べる。ちょっとうるさいかなと思ったが万歳三唱の動画も撮影した。 11時50分山頂出発。 最初降りるところを間違えてしまい、断崖のようなところに出たので、一旦山頂近くまで引き返して別のところから下りていく。 おりきったところは少し平らになっており、ここにハクサンイチゲのお花畑が広がっていた。 ちょうどお花畑を少し登ったところで旧道コースを歩いてきた単独の女性とすれ違った。 聞くと旧道コースやはりタフで時間がかかるということである。 ただ景色はきれいだし、お花畑も多いと教えてくれた。 それを励みに頑張ることにする。 旧道コースをさらに進むと確かに景色が見事である。 振り返ってみる芦別岳の山頂は本当に北海道のマッターホルンと呼ぶにふさわしいぐらい屹立したピラミダルな形になっておりみごたえがある。 |
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ローソク岩
山頂にいるときにお花畑の人のすぐ近くを七匹の鹿が走っていくのが見えたが、ここは自然の動物の楽園である。 願わくばヒグマにだけは遭わないようにしたい。 お花畑を過ぎ少し進むと右手が切れ落ちた谷になっていた。 ここから少し稜線が痩せたルートなり注意が必要である。 ローソク岩と言われる岩場の横を通るところは、一段と足場が急になっており慎重に渡った。 痩せた尾根のアップダウンを繰り返しながら進んでいく。 13:05 15799m峰。 その先の雪渓のところで熊の目撃情報があったらしいが、 幸い今日は熊はいなかった。 途中で単独の男性に追い抜かされる。 13:51 1457m峰。 稜線上を結構時間をかかりながら進んで行く道標と思われるものは一箇所だけあった。最後に谷筋に降りるのだがそこまでは本当に眺めのいるとが続く谷筋に入る直前の1426mのピークが展望台になっている
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展望ポイント
14:26 展望ポイント到着。ここで少し休むことにするやがて景色がなくなるのでここで最後の写真と動画の撮影をするここから降りたところに設計があったが設計を渡る時にストックをついたらストックが折れてしまった持ってきたジュラルミン製のストックはもともと二本セットで買ったものだが一本は買ってヶ月後の北アルプスで負ってしまいそして一年後もう一本持ってしまうという結果になった。やはり少し重くてももっと丈夫なやつを買ったほうが良かったのかもしれない。 14:51 旧道か好点、標高1271m ここで、芦別岳のピラミダルな眺めとお別れである。 下降点から少し下りに入ったところで、ルートの上に芝刈り機が置いてあった。地元の方がこの道を整備してくれているのだろう。 おかげでそこまでは結構藪が濃かったのだが、それより先は藪の刈払いがされていて、歩きやすくなっていた。 |
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ユーフレ谷
15:26 新夫婦岩分岐。 ルートは次第に岩が多くなり歩きにくいところもあらわれた。 ヤマップでコメントがあったが少し水のあるところで両側にストックをつくことができないほどの足場の悪いところもあった。 本当に道が急で厳しいのは、もう少し下であった。 ロープがあるのだが足場がくずれており全くある所がない少し登山道離れてトラバース道を行かないといけない所で滑って左膝をガツンとぶつけてしまった。
16:10ユーフレ谷分岐。 ここが避難小屋との分岐があった。 15分かけて避難小屋まで行って立ち寄っていると日没の時間に間に合わないかもしれないと思い、 残念だが避難小屋に行くのを諦める。 谷沿いの道はここからも険しいルートであった。 結構下山したと思ってたのに、歩いてまた小さな沢を高巻くようにして登っていくようなところもあった。 体力の消耗が著しい。 17時を過ぎて沢で休憩し顔を洗う。 失敗であるがここに帽子を忘れてきてしまった。 顔を洗った時に置いたままにしていたようだ。 ただ疲労が激しく、それに気がつかずにそのまま進んでしまったので仕方がない。 |
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下山 自然の家へ
だんだん日が短くなってきて結構と焦る。 18時4分に旧道登山口に到着。 登山届を提出するボックスがあった。 ここからは谷に沿った林道歩きである。 林道の終点までくるとの鹿よけの金網があったこれを超えたところが終点の山辺自然公園太陽の里である。 この自然公園のキャンプ場にテントを張っているのでようやく本日の歩きは終了となる。 降りきったところに自然の家というロッジがあった。 聞いてみるとここでシャワーを浴びられるらしい。予約はできないので6時半ぐらいにまた来ますと言って、一旦キャンプ場に戻った。 荷物を置いて着替えとタオルを取って先ほどの自然の家に戻る。 料金を払ってシャワーを浴び、レストランでビールを飲む生ビールを飲んで生き返った。 日没時刻ご機嫌になって自分のキャンプテントに戻った来た。 明日はテントをたたんで金山湖まで行き、そこから夕張岳を目指す。
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快晴の中の芦別岳の登頂。 ピラミダルな山容も眺めのよい稜線も高山植物もすべてに申し分のない素晴らしい山であった。 と同時に、下りの旧道は本当に難易度の高いコースであることを思い知らされた。 大して体力も技術もない自分が無事に下りてくることができたのでほっとしたというのが本音である。 行動時間は11時間を超え、累積標高も登り1700mとなっていた。 ストックを折ってしまったことと帽子を忘れてきてしまったことは残念であるが、これだけくたくたになって下りてきた山が本当に久しぶりだった気がした。 実は、このあと北海道遠征はまだまだ厳しい山が続くのだが、とりあえず入り口がこなせたように感じた第五座目であった。
(2023年11月記) |
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